聖書日課 歴代誌上25章(新共同訳 旧約pp.662-663)
25章には、「主の神殿でシンバル、琴、竪琴を奏で、歌をうたって神殿の奉仕に従事」する〈詠唱者〉について記されている。
「ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。彼らは竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した。この奉仕を職務とする者の数は次のとおりである」(1節)。
ダビデ王以降の神殿奉仕で特徴的なことは、〈詠唱者〉の働きである。ダビデ自身も竪琴の名手であった。また、詩編にあるように、ダビデは多くの讃美の歌を生み出した。
荒れ野における幕屋では、いけにえを献げる礼拝がなされた。神殿においては、いけにえだけでなく、〈讃美〉という献げ物をもっても礼拝がなされた。
そして、〈詠唱者〉はそのために「訓練を受け」た人々であった。7節に「主に向かって歌をうたうための訓練を受け、皆が熟練した者であったその兄弟たちも含め、彼らの数は二百八十八人であった」と記されている。
このように言われると、「讃美の奉仕は素人の私などがすべきではない」と尻込みしてしまう人がいるかも知れない。勿論、技術的に優れているのは喜ばしいことである。しかし、もっと大切なのは、「訓練を受け」た者だということである。
つまり、讃美の奉仕のために準備を怠らないことである。
技術面だけでなく、信仰において、祈りにおいて準備をもって讃美を献げる。このことが大切である。それがないと、奉仕が自己顕示に陥る危険性がある。
そのことと関連すると思われるが、〈詠唱者〉は「預言」する者でもあった。
「エドトンについては、その子らゲダルヤ、ツェリ、エシャヤ、シムイ、ハシャブヤ、マティトヤの六人。竪琴を奏でながら預言して主に感謝し、賛美をささげた父エドトンの指示に彼らは従った」(3節)。
つまり、讃美奉仕者は「預言」の働きもした。彼らが即興或いは事前に準備をして「ささげた」「賛美」の歌詞は「預言」でもあった。そう考えると、詩編の内容が「預言」そのものとなっているのも合点が行く。
〈詠唱者〉は、聖霊に満ちた人々であった。今日の教会における讃美の奉仕もこのような姿を目指したいものである。
西原新生バプテスト教会
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