聖書日課 エゼキエル書45章(新共同訳 旧約pp.1371-1373)
本章には、エゼキエルが見た新しいイスラエルにおける生活の規定が記されている。
その第一は、土地の割り当てに際して、まず「土地の一部を聖なる献げ物として主にささげねばならない」というものである(1節)。これは、各部族に分配した後の残りの土地ではいけないということでもある。
祈りにおいても、礼拝においても、献金においても、私達は一番初めに、主に献げるべきものを取り分ける姿勢が大切ではないだろうか。余ったら献げよう、時間があれば祈ろう、他に用事がなければ礼拝に行こうというのでは、結局祈りも礼拝も献金も出来ないだろうし、出来たとしても殆ど意味のないものとなってしまう。何故なら、主なる神は私達の心を見る御方だからである。主なる神を何よりも第一とする心を、主は喜ばれる。
次に、9~10節では、「イスラエルの君主たち」に対して、「不法と強奪をやめ」、「正義と恵みの業を行」うこと、正確な度量衡を用いることが勧告されている。そのために、君主には広大な土地があてがわれ、民を追い立てたり、虐げたりしなくても必要が満たされるように配慮された。主なる神は必要の全てを豊かに満たして下さる方であることが示されている。
13節以降には、献げ物についての規定が記されている。それによると、イスラエルの「すべての民」は自分達の「君主」に対して献げ物をささげ、「君主」は「すべての祝日」にイスラエルの民のために献げ物をささげるよう命じられている。そして、こう言われている。
「君主はこの日、自分自身のため、また、国のすべての民のために、贖罪の献げ物の雄牛をささげねばならない」(22節)。
民は君主に自分達の分を果たし、君主も全ての民のためにその役目を果たす。それによって正義と恵みに満ちた国が建て上げられる。その土台は「贖罪」、即ち、罪の赦しと清めにある。
主なる神を第一とすること、主なる神の満たしに信頼すること、そして、自分の分(献げ物)を果たすこと、そこから神の民の新たな祝福の生活が始まる。
西原新生バプテスト教会
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