聖書日課 サムエル記上18章(新共同訳 旧約pp.458-459)
巨人ゴリアトを打ち破って以来、ダビデの人気は、イスラエルの中で急上昇していった。
サウル王の息子ヨナタンは、「自分自身のようにダビデを愛し」(1節)、「彼と契約を結び」(3節)、贈り物を与えた(4節)。また、サウルに「派遣」されたダビデが、連戦連勝の武勲を立てると、「兵士」も「サウルの家臣」も皆大いに喜んだ(5節)。
そして、勝利を収めたダビデが帰還すると、「イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て」、喜び踊りながらサウル王とダビデを迎え、「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った」と歌った(7節)。
「サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。『ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。』この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった」(8~9節)。
それから、サウルはダビデを「恐れ」、「ダビデに対して敵意を抱」き、ダビデの命さえ狙うようになっていった(10~11節、17節)。
「サウルは、主がダビデと共におられること、娘ミカルがダビデを愛していることを思い知らされて、ダビデをいっそう恐れ、生涯ダビデに対して敵意を抱いた。ペリシテの将軍たちが出撃して来ると、ダビデはそのたびにサウルの家臣のだれよりも武勲を立て、名声を得た」(28~30節)。
サウルは主なる神に選ばれ、油を注がれて王となった。しかし、彼は不信仰に陥って、主なる神を待てずに分を超えた行動を取った(13章)。そして、欲望に駆られて主のご命令に逆らった(15章)。更に、家臣のダビデが武勲を立て、人々の注目がダビデに集まると、今度は「ねたみ」と「恐れ」に駆られてダビデを殺そうとまでした。
どうしてこのようなことになってしまったのか。それは、これまでの出来事から明らかなように、サウルが、主なる神への信頼と主の御前に謙る謙遜さを失ったことに原因があった。
人を罪と滅びに陥れるもの、それは不信仰、高慢、貪欲、「ねたみ」、「恐れ」である。私達に祝福と幸福をもたらすもの、それは主への信頼、謙遜、節制、祝福、平安である。サウルとダビデの生き方に、はっきりと示されているこの教訓を、しっかり心に留めたいと思う。
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(マタイによる福音書23章12節)。
西原新生バプテスト教会
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