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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 士師記3章

聖書日課 士師記3章(新共同訳 旧約pp.383-385)

 カナンの地には、多くの異教の民が残されていた。それは、イスラエルの不徹底な信仰のあり方による憂えるべき事態だった。その一方で、それはカナン人とのいかなる戦いも知らない」「イスラエルの人々の世代に戦いを学ばせる」機会ともなった。

カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである。そうされたのは、ただ以前に戦いを知ることがなかったということで、そのイスラエルの人々の世代に戦いを学ばせるためにほかならなかった。ペリシテ人の五人の領主、すべてのカナン人、シドン人、バアル・ヘルモンの山からレボ・ハマトに及ぶレバノンの山地に住むヒビ人がそれである」(1~3節)。

「戦いを学ばせるため」というのは、物騒な感じがするが、旧約の時代にはそれが現実であった。また、誰の人生にも〈戦い〉という一面があるのは否定出来ないだろう。しかし、〈戦い〉の本質がどこにあるのかを確認するのは、現代の私達にとっても重要なことである。それについて、次のように記されている。

「彼らはイスラエルを試みるため、主がモーセによって先祖に授けられた戒めにイスラエルが聞き従うかどうかを知るためのものであった。しかし、イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた」(4~6節)。

 つまり、〈戦い〉の本質は、決して人間同士の争いにあったのではない。イスラエルの人々が、偶像や異教の風習に影響されることなく、あくまでも主の「戒め」「聞き従うかどうか」が試されていた。そういう霊的・信仰的な次元での〈戦い〉こそが、彼らの〈戦い〉の本質だった。それは、言うなれば、目に見えない世界での〈戦い〉であり、自分自身の内における〈戦い〉でもあった。

 私達の人生には、確かに〈戦い〉がある。その戦いの本質が、人との争いではなく、霊的・信仰的な次元にあることを知るのは、人間同士の無用な争いを避けるためにも大切である。また、真の勝利がどこにあり、どうすれば勝利出来るかを知るためにも必要である。

 どこまでも主なる神を信頼し、主の教えに従う信仰を保ち続けよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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