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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下23章

聖書日課 列王記下23章(新共同訳 旧約pp.618-621)

 ヨシヤ王は凄まじい勢いで宗教改革を進めて行った。彼はまず、エルサレム中の人々を神殿に集め(1節)、「主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせ」(2節)、「この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った」(3節)。

 そして、主の神殿の中に置かれていた「バアルやアシェラ」の像を「焼き払」い(4節)、また「ユダの町々やエルサレム周辺の聖なる高台」を取り除いて、そこに仕える「神官たち」や、偶像に「香をたく者たちを廃止した」(5節)。更に、ベテルやサマリヤの町々にも出て行って、そこにあった偶像や、高台を全て取り壊していった。まさに、ヨシヤ王の信仰の徹底ぶりが窺えるところである。

 しかし、それと同時に思うのは、神の民がいかに深く異教的習慣に染まっていたかということである。王宮、神殿、町々、山々など、イスラエル中のあらゆる所に偶像が置かれ、異教の儀式が執り行われていた。今や偶像礼拝は全く日常化したものとなっていた。これでは、とても「祭司の王国、聖なる国民」とは言えない(出エジプト記19章6節)。それどころか、彼らの罪は最早裁かれても仕方のないところにまで達していた。

「ヨシヤはまた口寄せ、霊媒、テラフィム、偶像、ユダの地とエルサレムに見られる憎むべきものを一掃した。こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿で見つけた書に記されている律法の言葉を実行した。彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった」(24~26節)。

 勿論、ヨシヤ王が推し進めた改革は素晴らしいものだった。彼は国中から、偶像も高台もそこに仕える祭司たちも全て一掃した。しかし、それほど熱心で急激な改革も、人々の心を真に変えるには至らなかった。それは、ヨシヤ王の宗教改革が、いわゆる〈上からの改革〉であって、〈下からの(草の根の)改革〉ではなかったからである。勿論、外面的な改革が無意味ということではない。しかし、宗教改革の本質は、やはり内面、つまり人の心にこそある。主なる神は人の上辺ではなく、心を見ておられる。

 裁きは最早免れないところにまで来ていた。国家の滅亡が近づいていた。それは罪を犯し続けてきた結果である。しかし、それと共に決して忘れてはならないのは、そのような試練を通過することで、神の民は真の悔い改めに至ったということである。そして、主なる神の約束通り、彼らは再びカナンの地に帰って来た。人間の罪による滅びは、主なる神の愛による救いによって打ち破られた。ここに主なる神の誠実と深い憐れみが示されている。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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