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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 士師記1章

聖書日課 士師記1章(新共同訳 旧約pp.380-382)

 今日から士師記に入る。勢いづいて読み始めたいところだが、本書は、前書のヨシュア記とは雰囲気が違う。ヨシュア記が勝利と成就の書であったのに対し、士師記は堕落と敗北の書だからである。

「えーっ、いきなりそのように言われたら、読む気をなくしてしまう」と思われた方は、ご安心いただきたい。

 確かに士師記は、堕落と敗北の書である。しかし士師記は、そのような状況に陥ったイスラエルを、主なる神が何度も何度も赦し、助け、回復して下さったことが記されている書でもある。つまり、士師記は、何よりもまず主なる神の慈しみと憐れみ深さを教える書として、慰めと励ましに満ちた書である。そして、反面教師的な側面があるけれども、信仰者として生きる上で学ぶべき大切な教訓が沢山盛り込まれている。勿論、物語としても、ギデオンやサムソンなど、興味深い人物が沢山登場する。

 それにしても、士師記の時代は、どうして堕落と敗北の時となってしまったのだろうか。士師記の序論とも言える1章には、その理由の一端が示されている。

ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った。『わたしたちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか。』主は、『ユダが上れ。見よ、わたしはその地をユダの手に渡す』と言われた」(1~2節)。

 一つは、ヨシュアの死後」イスラエルには強力なリーダーがいなかったことである。モーセの後にはヨシュアという信仰的なリーダーが、イスラエルを一つにまとめ、導いてきた。しかし、ヨシュアの後には、そういう人物がおらず、イスラエルは部族ごとにバラバラに行動するようになっていった。

 もう一つは、イスラエルには未占領の土地が沢山残されており、そこに多くの異教の民が住んでいたことである。

「マナセは、ベト・シェアンとその周辺の村落、タナクとその周辺の村落、ドルの住民とその周辺の村落、イブレアムの住民とその周辺の村落、メギドの住民とその周辺の村落を占領しなかった。そのためカナン人はこれらの地に住み続けた」(27節)。

「アシェルは、アコの住民、シドンの住民、マハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフィク、レホブを占領しなかった。アシェルはこれらの地の住民であるカナン人を追い出さず、彼らの中に住み続けた」(31~32節)。

 そのことの何が問題かと言うと、イスラエルは、異教の民の影響を受けて、偶像礼拝に陥ってしまったのである。それは、信仰の不徹底さがもたらした悲劇であると言える。

 主に仕える信仰深い強力なリーダー。主なる神への徹底した信仰。これらは、国や社会の祝福にとって、いつの時代も、なくてはならない大切な要素である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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