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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記9章

聖書日課 ヨシュア記9章(新共同訳 旧約pp.352-354)

 カナンの地は、先のエリコやアイのような都市国家が林立する地域だった。そして、その中に「ギブオン」という町があった(3節)。

 ギブオンの住民は、「遠い国から」やって来た人々を装って、ヨシュアイスラエル人」に和平を申し出た(6節)。ヨシュア「共同体の指導者」はそれを見抜けず、ギブオンと「和を講じ、命を保障する協定を結び」(14節)、イスラエルの神、主にかけて彼らに誓った」(19節)。

 しかしその後、ギブオンの人々がカナンの住人であることを知った。驚いたヨシュアは、ギブオンの住民を問いつめたが(22節)、結果的には彼らを生かし(26節)、「奴隷」として「共同体および主の祭壇のため」「柴刈りと水くみをさせ」ることにした(21節、23節、27節)。「主にかけて彼らに誓った」故に覆すことを由としなかったのである。

 この出来事は悪魔の巧妙な手口を表しているという解釈がある。悪魔はギブオンのように姿を偽って仲間に入り込むので、油断してはいけないというのである。確かに、イスラエルは主なる神に祈らず、「主の指示を求めなかった」(14節)。彼らの油断がこの結果を招いた。

 その一方で、イスラエルの人々は、主の御名によって誓った以上、御名を汚さないために約束を守った。これは注目すべきことである。また、そのことを主はお認めになった。

 イスラエルの失敗さえも用いて、主なる神は異邦人をお救いになる。主なる神は、イスラエルだけを偏愛する方ではない。主なる神を畏れ、従おうとする者をお救いになる方である。ここに希望がある。

 事実、ギブオンの人々は、主に対する信仰を告白している。主なる神が、カナンの地をイスラエルに与えたことを認めている。つまり、自分達が滅ぼされて当然であることを認めている。

 その上で、彼らは生きる道を必死で模索した。エリコの町の遊女ラハブもそうだった。主なる神の憐れみを求めて生きようとする者を、主なる神は受け入れて下さる。罪人が悔い改めて生きようとするのを、主なる神は喜ばれる。

「彼らはヨシュアに答えた。『あなたの神、主がその僕モーセに、『この地方はすべてあなたたちに与える。土地の住民をすべて滅ぼせ』とお命じになったことが僕どもにはっきり伝わって来たので、あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました』」(24節)。

 私達は、自分の罪の故に主なる神の御怒りによって滅ぼされて当然であることを認めているだろうか。自分が主なる神によって聖絶されなければならない罪人であることを知っているだろうか。

 主なる神が、罪人である私を裁き、滅びにお定めになったのは、当然だと認めることは、主なる神が義であると告白することである。しかし、「主なる神の裁きは不当だ」として反発することは、自分の義で生きようとすることである。

 主なる神の裁きを認めたくない人は、主なる神に敵対する者である。その人は、自分の義を盾にして主なる神と戦おうとする者である。神の民イスラエルに敵対するカナン人とは、そのような人々のことである。

 しかし、主なる神の裁きは正しいと認める人は、主なる神の憐れみを受ける。ギブオンの人々は、主なる神の義を認め、主なる神の憐れみを求めた。彼らは、自分達の義を捨て、主なる神の義を認めた。

 主なる神の義を認める人は謙遜になる。だから、ギブオンの人々はこう告白した。

「御覧ください。わたしたちは今はあなたの手の中にあります。あなたが良いと見なし、正しいと見なされることをなさってください」(25節)。

 主なる神の御前に、自分を差し出し、「あなたが良いと見なし、正しいと見なされることをなさってください」と告白出来る者は幸いである。「御心のままに」とは、自分達が滅ぼされることが御心なのであれば、それも受け入れるという意味である。

 日本では「宜しくお願い致します」と言うが、そこには「自分にとって宜しくなるようにして下さい」という下心がないわけではない。そのような下心があると、主なる神に躓くことになる。つまり、自分の義がある人は、主なる神に躓く。

 ギブオンは「アイよりも大きく、王をいただく都市ほどの大きな町であり、その上、そこの男たちは皆、勇士だった」(10章2節)。

 にもかかわらず、彼らは、そのような自分達の有能さに驕らず、イスラエルのために「柴刈りと水くみ」に従事することを受け入れた。自分の義を握り続けていたら、そのような取り扱いを不服に思ったことだろう。

 彼らは自分の義を捨てて、謙遜に仕えた。

 ギブオンの人々は、その後のイスラエルの歴史に名を残している。バビロン捕囚後に帰還した民の中にも、彼らの名は記されている(ネヘミヤ記3章7節)。彼らは、主なる神に従った人々であった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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