聖書日課 レビ記21章(新共同訳 旧約pp.195-196)
21章には、祭司の葬儀と結婚などについての制限が記されている。
それによると、祭司は身近な家族以外の葬儀に参列することが許されておらず、また、結婚相手についても制限が加えられている。更に、大祭司の場合、より一層厳しい制限がなされており、一切の葬儀に参列することが禁じられ(11節)、また結婚する女性も同じ「一族から処女をめとらねばならない」とされている(14節)。
「主はモーセに言われた。アロンの子である祭司たちに告げてこう言いなさい。親族の遺体に触れて身を汚してはならない。ただし、近親、すなわち、父母、息子、娘、兄弟、および同居している未婚の姉妹の場合は許される。間違っても、親族の遺体に触れて、身を汚すことがあってはならない。また、頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたりしてはならない。神に属する聖なる者であるように、神の名を汚さないようにしなければならない。祭司は、燃やして主にささげる神の食物を携えるのであるから、聖なる者でなければならない」(1~6節)。
何故祭司には、このような厳しい制限が課されたのだろうか。6節に、祭司は「神に属する」者であり、「主にささげる神の食物を携える」者であるから、「聖なる者でなければならない」と言われている。
このように、所属と役割という観点から特別な制限が課されるのは、理解出来るところである。しかし、何故葬儀と結婚について制限が課されているのだろうか。
それは、恐らく、祭司が主なる神と人を結ぶ者であり、人々に赦しと和解をもたらすことによって、生きる喜びと希望を与える役目を担っていたからだろう。だから、死と悲しみの象徴である葬儀への参列が制限され、また結婚関係の清さを保つことが求められたのではないか。
今全てのキリスト者は祭司である(万人祭司)。つまり、キリスト者は皆主なる神のものとされ、主なる神に選ばれ、この世界に赦しと和解と希望を与える役割を与えられている者である。所属と役割という観点から、自分自身のあり方を確認するのはとても大切なことである。
西原新生バプテスト教会
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