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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 民数記17章

聖書日課 民数記17章(新共同訳 旧約pp.242-243)

 何故アロンが大祭司であり、「アロンの子孫以外の者が主の御前に近づき、香をささげてはならない」のか(5節)。何故アロン家以外のレビ人は幕屋の奉仕者なのか。この疑問に主なる神自ら応えて下さった。

 勿論、モーセは指導者の地位を力づくで奪い取ったわけではない。また、アロンは大祭司になるために他者を蹴落としてその地位を得たわけでもない。主なる神が選び、定められたからである。しかし、「コラの事件」(14節)を機会に、主なる神は明確なしるしをもって証しされた。

 各部族の「指導者」の名を刻んだ「十二本の杖を取り」(17節)、それを「臨在の幕屋の中の掟の箱の前に置」いた(10節)。そして、その杖から芽を出した者こそ、主なる神が大祭司として選んだ者であることを示された(20節)。

「明くる日、モーセが掟の幕屋に入って行き、見ると、レビの家のアロンの杖が芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた」(23節)。

 翌朝、アロンの杖にだけアーモンドの芽が出て、花が咲き、実を結んでいた。このしるしをもって、アロンが大祭司であることを疑う者はいなくなった。

 杖は〈死んだ木〉である。そのような死んだ木から芽が出て、花が咲き、実が結ぶなど有り得ないことである。だからこそ、これは主なる神が与えられた明確な証拠である。

 イエス・キリストも十字架で死なれた。杖のように〈死んだ木〉となられた。死んだ木から芽が出ないのと同様に、死人が復活することなど有り得ない。

 しかし、主なる神は、イエス・キリストを死者の中から復活させられた。死んだ木も同然のイエス・キリストに、神は命を与えられた。永遠の命の芽を出し、永遠の命の花を咲かせ、永遠の命の実を結ばせた。これは、イエス・キリストこそ、永遠の大祭司であるという明確な証拠である。

 イスラエルの人々が、アロンが大祭司であることを疑い、不平を言って死んだ「コラとその仲間のようにならないため」に(5節)、主なる神はアロンの杖に芽を出させて「反逆した者たちに対する警告のしるし」とされた(25節)。

 同じように、主なる神は、イエス・キリストこそ大祭司であることの証拠として、彼を死人の中から復活させられた。そのようなしるしがあるにも関わらず、イエスをキリストと認めないなら、命を得る方法はない。

「イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った」ファリサイ派サドカイ派の人々に対し(マタイによる福音書16章1節)、イエス・キリスト「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」とお答えになった(同4節)。「ヨナのしるし」とは、ヨナが大魚に飲み込まれ、3日目に大魚の腹から出てきたことであるが、それはイエス・キリストの復活を指している。

 つまり、復活こそがしるしである。復活は、イエス・キリストこそ真の大祭司であり、救い主であることの証しである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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