ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

主日礼拝宣教 2021年12月19日

主日礼拝宣教 2021年12月19日
ルカによる福音書2章8~21節(新共同訳 新約p.103)
「クリスマスの祝い方」

 この世ではどのようにクリスマスが祝われているだろうか。多くの人は、家をクリスマスツリーやイルミネーションで飾ったり、ケーキやオードブルを買ったり、プレゼントを贈ったり、パーティーをしたりする。私自身もイエス・キリストを信じる前は、その程度の認識だった。しかし、子供の頃、「クリスマスとはそもそも何なのだろう」と考えさせられる出来事があった。
 私の父方の祖父は、家や伝統を重んじ、天皇陛下を尊崇し、神社への参拝を欠かさず、祝日になると必ず日章旗を掲げる人だった。そういう家庭環境だったため、幼い私が「クリスマスのお祝いをしたい」と言うと、祖父は「うちはキリスト教じゃないんだから、そんなもん必要ない」と一蹴された。私の方は、クリスマスの意味など知らず、単にパーティーがしたかっただけなので、両親が「ケーキは買ってあげるよ」と言うと、すぐに機嫌を直した。
 だが、今振り返ってみれば、祖父は私に反面教師的に〈信仰教育〉を行ったと言えるかも知れない。祖父は「キリスト教でない日本人が、クリスマスに騒ぐのは嘆かわしいことだ」とぼやいていたが、これは「キリスト教の信者こそクリスマスに騒ぐべき人、クリスマスを祝うべき人である」と裏返しで言っているからである。
 事実、私は、イエス・キリストが誰であるかが分かってから、クリスマスの祝い方が変わった。それだけではなく、聖書からクリスマスの祝い方を学んだ。では、それはどのようなものだろうか。

1. イエス・キリストを信じること

 聖書が教えるクリスマスの祝い方は、第一に、イエス・キリストを信じることである。クリスマスとは、イエス・キリストが私達の救い主としてお生まれになったことを喜び祝う日だからである。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(10~11節)。

 聖書によれば、私達人間は、主なる神によって造られた。にもかかわらず、主なる神を無視し、主なる神に背いて生きてきた。「自分は法律に触れるようなことはしていない」「誰にも迷惑をかけていない」と言う人がいる。しかし、主なる神から離れることを、聖書は〈罪〉と呼んでいる。主なる神はそのような私達を、ご自分のもとに立ち帰らせるために、御子イエス・キリストをこの世に送って下さった。
 イエス・キリストは、私達の罪を十字架で贖うために生まれて下さった。だから、イエス・キリストを自分の救い主として信じることが何よりも大切であり、信じてこそ本当のクリスマスをお祝いしたことになる。
 キリスト者になる前、私は、イエス・キリストを知らず、また無視した状態で、クリスマスを楽しんでいた。しかし、それは、何も残らない空しいクリスマスであった。
 イエス・キリストを信じてからのクリスマスは違っていた。イエス・キリストが私を罪から救うために生まれて下さったことを、心から感謝して祝うことが出来るようになった。私は、イエス・キリストを信じ、初めて教会でクリスマスを祝った時の喜びと感激を忘れることが出来ない。イエス・キリストの降誕のメッセージを聞き、イエス・キリストに感謝の祈りをささげた時、これが本当のクリスマスだと実感した。それは今まで経験したことのない特別なものだった。
 イエス・キリストを信じてクリスマスを祝うことは、どのような飾り付けやプレゼントをして祝うことよりも大切である。

2. イエス・キリストを礼拝すること

 聖書が教えるクリスマスの祝い方は、第二に、イエス・キリストを礼拝することである。聖書は世界で最初のクリスマスの出来事を次のように語っている。

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」(15~16節)。

 羊飼いたちは、イエス・キリストの降誕を知らされると、イエス・キリストを礼拝するために「急いで」出発した。また、占星術の学者たちも、はるばる「東の方から」「ユダヤベツレヘムまで幼子のイエス・キリスト「拝みに来た」と聖書は記している(マタイによる福音書2章1~2節)。
 勿論、彼らは、幼子のイエス・キリストから一言のメッセージも聞けないことは分かっていた。それでもイエス・キリストを礼拝するためにやって来た。イエス・キリストが礼拝をお献げするに相応しい救い主であると心から信じていたからである。クリスマスにイエス・キリストを礼拝することは、最も良い祝い方である。

3. イエス・キリストを伝えること

 聖書が教えるクリスマスの祝い方は、第三に、イエス・キリストを他の人に伝えることである。聖書は、最初のクリスマスを祝った羊飼いたちについて次のように記している。

「その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」(17~18節)。

 羊飼いたちは、人々に救い主が生まれたこと、飼い葉桶に寝かせられていたこと、従って、誰でも出会えることなどを「人々に知らせた」
 イエス・キリストがどのような御方であるか、またイエス・キリストが自分の人生にどのようなことをして下さったかを、他の人に伝えることは、クリスマスの素晴らしい祝い方である。

4. イエス・キリストを賛美すること

 聖書が教えるクリスマスの祝い方は、第四に、イエス・キリストを賛美することである。聖書は、羊飼いたちについて更にこう言っている。

「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20節)。

 この言葉は、世界で最初のクリスマス・キャロルであると言われている。クリスマスには毎年「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などの歌が歌われている。しかし、イエス・キリストの誕生を感謝し、喜び、イエス・キリストに賛美をささげることは、何よりもクリスマスに相応しいことである。
 私がバプテスマを受けた教会では、12月24日の夜、クリスマスイブ礼拝をお献げした後、教会員のお宅を車で何軒か回り、玄関の前でキャンドルを持って、イエス・キリスト降誕に関する讃美歌を歌った。また、以前牧師として仕えていた教会では、駅前でキャロリングを行った。
 イエス・キリストは、主なる神であられるのに、私達を罪から救うために人間となって生まれ、十字架で死んで下さった。私達の罪を贖って下さった。イエス・キリストを信じて救われ、最高のクリスマスを共にお祝いしよう!