聖書日課 ゼカリヤ書11章(新共同訳 旧約pp.1491-1492)
大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルらの指導によって神殿が再建され、民はしばらくは信仰に燃えていた。しかし、指導者がいなくなると、次第に真実の信仰から離れ、形式や儀式だけの信仰に陥っていった。
いわゆる律法学者や、ファリサイ派やサドカイ派と呼ばれる指導者が出現し始めたのは、この頃からである。律法学者やファリサイ派は、人間の伝統と負い切れない重荷によって民を縛り、サドカイ派は世俗主義によって人々を惑わした。実に彼らは、自分達の利益を求め、羊が屠られても「憐れ」むことのない羊飼いだった(5節)。
この頃、預言者ゼカリヤもまた羊を飼い、「好意」と「一致」と「名付け」られた「二本の杖を手にし」た(7節)。これは主の導きによるものであり、ゼカリヤは良い羊飼いの役目を果たすモデルとされた。ところが…
「わたしは一月のうちに三人の羊飼いを退けた。わたしは彼らに我慢できなくなり、彼らもわたしを嫌った。そして、わたしは言った。『わたしはお前たちを飼わない。死ぬべき者は死ね。消え去るべき者は消え去れ。残った者は互いに肉を食い合うがよい』」(8~9節)。
せっかく良い羊飼いが来たのに、指導者も民も皆揃って、良い羊飼いであるゼカリヤを「嫌っ」て、退けた。そのため、「好意」と「一致」と名付けられた杖は折られ、主の「契約」は破棄され、ユダとイスラエルの兄弟の契りも「無効にされ」てしまった(10節、14節)。この時、ゼカリヤが「羊の商人たち」に「賃金」を要求すると、彼らは「銀三十シェケル」をゼカリヤに「支払」った(12節)。すると、主なる神はゼカリヤに言われた。
「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を」(13節)。
これはやがて、ユダがイエス・キリストを「銀貨三十枚」で売り渡すことによって成就する預言である(マタイによる福音書26章14~15節、27章9節)。ゼカリヤが嫌われて、「銀三十シェケル」という安値で値積もりされたように、真の良い羊飼いとして来られた主イエス・キリストも、人々に退けられ、僅か30枚の銀貨で売り渡された。
しかし、主なる神は、このような愚かな人間の拒絶と罪の全てを十字架の上で受けとめ、自らその呪いの全てを引き受けて下さった。それによって私達が真の良い羊飼いのもとに帰り、赦しと恵みと祝福に満ちて生きるために。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な憐れみの故に、御前に赦されていることを、心から感謝致します。
主よ、私達は、あなたの御声を聞いてあなたに従うことと、自分の都合を天秤にかけています。あなたを主と信じると言いながら、あなたに値段を付けています。
今日、聖書の言葉からそのことを教えていただきました。私自身の罪があなたを十字架に追いやったのだと。
主よ、それにもかかわらず、あなたはこのような者に絶大な価値を認めておられるというのですか。あなたの尊い御血によって買い取るほどの価値がこのような者にあったとおっしゃるのですか。
主よ、あなたに何と申し上げて良いか分かりません。ただ、言葉にならないこの思いを献げます。感謝を献げます。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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