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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記29章

聖書日課 出エジプト記29章(新共同訳 旧約pp.141-144)

 出エジプト記29章には、〈祭司聖別の儀式〉についての指示(1~37節)と、〈日ごとの献げ物〉についての教え(38~46節)が記されている。

 祭司は、幕屋で「罪の贖いの儀式」(36節)を執り行うことによって、主なる神と人の間に罪の赦しと和解をもたらし、平和な交わりを築く役目を果たす人物である。それ故、自らの聖別のために厳粛な儀式を経なければならなかった。現在、祭司制度はなくなった。しかし、主なる神と隣人に仕えるために、聖別されることが必要であることに変わりはない。

 ところで、このようにして聖別された祭司がなすべき奉仕は、「毎日絶やすことなく」(38節)、「朝」「夕暮れ」に、「主の御前に」「焼き尽くす献げ物」をささげることであった(38~42節)。

「毎日絶やすことなく」朝に、夕に…、ここに礼拝者としてのあり方・生き方が示されているように思う。それは、主なる神が私達にも願い求めておられることである。何のためか? 私達が主なる神に「会い」、主なる神からの「語りかけ」を聞くためである。

「これは代々にわたって、臨在の幕屋の入り口で主の御前にささぐべき日ごとの焼き尽くす献げ物である。わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。わたしはその所でイスラエルの人々に会う。そこは、わたしの栄光によって聖別される。わたしは臨在の幕屋と祭壇を聖別し、またアロンとその子らをわたしに仕える祭司として聖別する。また、わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である」(42~46節)。

 主なる神は、イスラエルの人々のただ中に宿り」、人々と「会い」、人々に「語りかける」ことを願っておられる。そのために、彼らをエジプトの圧制から解放し、約束の地へと導き出された。それは、イスラエルの人々の才能や努力によるものではなく、ただ主なる神の一方的な愛と恵みによる賜物である。

 同じように、主なる神は、十字架の御業によって、私達を罪の束縛と滅びから解放し、天の御国へと向かう旅路に導き出して下さった。そして、主なる神は、日ごとに私達に「会い」、私達に「語りかけ」、私達と共に歩んで下さる。かつて、主なる神が幕屋によってイスラエル「ただ中に宿」られたように、今、聖霊なる神が、私達の「ただ中に宿り」、私達の「神とな」って下さった。これはまさしく、主なる神の一方的な愛と恵みによる賜物である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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