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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 出エジプト記30章

聖書日課 出エジプト記30章(新共同訳 旧約pp.144-146)

「聖別」とは、人や物を他のものと分けて、特別に主なる神のものとすることである。主なる神は、幕屋で「罪の贖いの儀式」(10節)のために用いられる様々な用具、また儀式を執り行う祭司たちを皆、聖別するように命じている。

 そのために用いられたのが、「聖なる聖別の油」と呼ばれる特別仕立ての上質の油である(25節、31節)。

「主はモーセに仰せになった。上質の香料を取りなさい。すなわち、ミルラの樹脂五百シェケル、シナモンをその半量の二百五十シェケル、匂い菖蒲二百五十シェケル、桂皮を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油一ヒンである。あなたはこれらを材料にして聖なる聖別の油を作る。すなわち、香料師の混ぜ合わせ方に従って聖なる聖別の油を作る」(22~25節)。

「聖別の油」は、熟練した「香料師」にだけ作ることが許されており、また聖別のためにだけ用いることが許されていた。つまり、この油を「一般の人の体に注いだり、同じ割合のものを勝手に作」ることは固く禁じられており(32節)、もしそうした者がいた場合には、「その民から断たれる」とまで言われている(33節)。厳しい掟である。こういう記述を読むと、「どうしてそこまで厳格にする必要があるのだろう?」と訝しく思う人もいるかも知れない。

 主なる神はこう言われている。

「それは聖なるものであるから、聖なるものとして扱いなさい」(32節)。

 現代人の感覚からすれば、人や物を聖と俗に分けることは差別だと思われるかも知れない。しかし、私達現代人は、聖なるものへの恐れ(畏れ)を寧ろ忘れ去ってしまったのではないか。それは聖性の源である主なる神から離れてしまったことの結果であり、実は恐ろしいほどの傲慢さの現れなのではないか。

 勿論、人間が恣意的に聖と俗を区別するなら、そこに差別が生まれる。だからこそ主なる神は、厳密な規定を設け、人間の考えや方法ではなく、主なる神の方法で聖別するように命じられたのだろう。

 聖なる方への恐れ、聖なる神を畏れ敬い、大切にする心を、私達は持っているだろうか。それは、日々主なる神の御前にひれ伏し、祈ることを抜きに得ることの出来ない心であり、また、主なる神の御言葉を慕い求め、拠り頼み、聞き従うことなしに育てることの出来ない心である。

 ダビデ王は、そのような心を求めて祈った。

「神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください」(詩編51編12~14節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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