聖書日課 出エジプト記2章(新共同訳 旧約pp.94-95)
イスラエルの人々を苦しめ続けたエジプト王が死んだ。それまでの長い年月、彼らは、苦しみ嘆き、主なる神に向かって叫んだ。
「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた」(23節)。
どうして主なる神は、これほど長い間、民の叫びに答えられなかったのだろうか? いや、事実はそうではないかも知れない。イスラエルの人々は、長い間エジプトに寄留し、平穏無事な生活をしてきた。そのため、苦しみに出会うまで、主なる神を求める心を失いかけていたのではないか。苦しみに出会ったからこそ、彼らは主なる神に叫び祈る心を取り戻していったのではないか。ダビデも苦しみの中で次のように述べている。
「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」(詩編119編71節)。
勿論、主なる神はイスラエルの人々の苦しみをご存知であった。そして、そのために何年も前からモーセを選び、ご自分の民を救い出す準備を進めておられた。
モーセはレビ族の若い夫婦の下に生まれた(1節)。しかし、主なる神の不思議なご計画によってエジプトの「王女の子」として育てられ(10節)、エジプトの宮廷生活と高等教育を授けられることになった。これは、やがてエジプト王と対決する時に必要な知識と経験を、彼にもたらすことになった。
その一方で、「モーセが成人した」或る日、「一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人」を苦しめているのを見て(11節)、彼は正義感からそのエジプト人を殺害してしまった(12節)。そして、そのことがファラオの耳に入ると、モーセは命を狙われる羽目になってしまった(15節)。それからの40年間、彼は荒れ野で羊飼いとして生きることになった(3章1節)。これは、後にエジプトから脱出したイスラエルの民を荒れ野で導く上で大いに役立つことになった。
こうした出来事の中、イスラエルの叫びが主なる神の御前に届き、主なる神は彼らを御心に留められた。
「神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」(24~25節)。
モーセの準備とイスラエルの民の準備が整い、遂にエジプト脱出の機が熟し、主なる神の解放と救いの御業が行われようとしていた。
今、苦しみの中にある人がおられるかも知れない。或いは、悲しみの中にある人がおられるかも知れない。主なる神は、苦しみ悩む人と共にいて、その叫びを聞き、顧み、答えて下さる。その主なる神に心を向け、信頼し、叫び祈り、助けを求めてみてはどうだろうか。主なる神は必ず御手を伸ばし、あなたを助けて下さる。
西原新生バプテスト教会
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