聖書日課 出エジプト記1章(新共同訳 旧約pp.94-95)
ヨセフの時代から数百年の年月が流れた。イスラエルの子孫は、エジプトで「おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れ」るようになっていた(7節)。ところが、「ヨセフのことを知らない新しい王」が「エジプトを支配」するようになると(8節)、王は増大するイスラエル民族に恐れを抱いた。そして、人口の「増加を食い止め」(10節)、弱体化させるために、彼らに「重労働を課」すようになった(11節)。
しかし、イスラエルの人々は、「虐待されればされるほど」更に「増え広がった」(12節)。主なる神は、アブラハムへの約束の故に、神の民を外敵から守り、力づけ、勢力を増して下さる。勿論、今でも!
一方、エジプト人は、それでも増え広がる「イスラエルの人々を嫌悪し」、彼らを更に「酷使し」た(13節)。或る日、エジプト王は「二人のヘブライ人の助産婦」(15節)を呼び出して言った。
「お前たちがヘブライ人の女の出産を助ける時には、子どもの性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ」(16節)。
この2人の助産婦は、王の命令にどう対応しただろうか?
「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた」(17節)。
これが助産婦の対応であった! 何と勇気ある女性達だろうか! そして、この勇気はどこから来ているのだろうか? 聖書は、彼女達が「神を畏れていた」と記している。
何を畏れて生きるか。それは人生において大きな意味を持つ選択である。その選択によって、人生の色合いは随分違ったものになってくる。箴言の中に次のような言葉がある。
「主を畏れれば命を得る。満ち足りて眠りにつき/災難に襲われることはない」(箴言19章23節)。
では、この2人の助産婦の場合は、どうだっただろうか?
「神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた」(20~21節)。
主なる神を畏れて生きる者に与えられた主なる神の祝福である。
西原新生バプテスト教会
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