聖書日課 創世記50章(新共同訳 旧約pp.92-93)
ヨセフは、父ヤコブが死ぬと、遺言に従ってヤコブの亡骸を「カナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った」(13節)。「七日間にわたって行われた」葬儀は(10節)、「ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて」も加わり(7節)、「非常に荘厳」で「盛大な追悼の儀式」であった(10~11節)。
ところが、葬儀を終えると、「ヨセフの兄弟たち」は、「父が死んでしまったので」、ヨセフが自分達に「仕返しをするのではないか」と不安になった(15節)。そのため、「人を介して」ヨセフにこう伝えた。
「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい』。お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」(16~17節)。
これを聞いて、「ヨセフは涙を流した」(17節)。確かに、兄たちの恐れは理解出来ないことではない。しかし、ヨセフは既に兄たちの罪を赦し、彼らと和解していた。しかも、彼らがエジプトに来てもう17年も経っていた! 一体兄たちは何に拠り頼みつつ生きていたのだろうか?
この時、ヨセフは兄たちに次のように答えた。
「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう」(19~21節)。
これはヨセフの信仰による言葉である。信仰によって、ヨセフは、自分の身に降りかかった災いの全てを、主なる神の御計画として受けとめた。そして、災いの時も共にいて下さった主なる神の祝福に目を留めた。ヨセフは主なる神への信仰に立って生きていた。人の悪の企みを善に変えて下さる主なる神への信頼の上に、自分の人生を築いてきた。
これは、創世記の最終章に相応しい、一人の信仰者の証しの言葉である。私達も、主なる神に信頼し、主なる神に拠り頼んで生き続けたい。
西原新生バプテスト教会
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