聖書日課 創世記48章(新共同訳 旧約pp.87-89)
ヤコブは老いて病の中にあった(1節)。そのヤコブが最後の力を振り絞ってしたのは、息子達を祝福することだった。ヤコブは主なる神の祝福の源として波乱万丈の人生を生き抜いてきた。そして、生涯の最後に主なる神の祝福を子供達に継承し、彼らを祝福の源とした。
ヤコブは初めにヨセフとその「二人の息子マナセとエフライム」を呼び寄せた(1節)。そして、マナセとエフライムの頭に手を置き、ヨセフへの祝福の言葉を述べた。
「そして、ヨセフを祝福して言った。『わたしの先祖アブラハムとイサクが/その御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで/導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから/贖われた御使いよ。どうか、この子供たちの上に/祝福をお与えください。どうか、わたしの名と/わたしの先祖アブラハム、イサクの名が/彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に/数多く増え続けますように』」(15~16節)。
この祝福の言葉には、主なる神の祝福の源とされた家族の歴史が、簡潔に、そして意味深く述べられている。
「わたしの先祖アブラハムとイサクが/その御前に歩んだ神よ」。ヤコブの前に、主なる神によって、主なる神と共に歩んだ先達がいたことは、ヤコブにとって大切なモデルであり、目標であり、支えであったに違いない。主なる神は、祖父アブラハムや父イサクと共に歩み、彼らを守られた。ヤコブの信仰は、そういう先達の存在を通して受け継がれてきた。
「わたしの生涯を今日まで/導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから/贖われた御使いよ」。祖父や父を守った主なる神は、ヤコブとも共にいて、彼を守り導いた。主なる神は、先祖の神であると共に、自分自身の神でもあることを、ヤコブは自らの人生を通して確信していったに違いない。
「どうか、この子供たちの上に/祝福をお与えください。どうか、わたしの名と/わたしの先祖アブラハム、イサクの名が/彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に/数多く増え続けますように」。最後に、ヤコブは、自分の後に続く子供達に、主なる神の祝福があるようにと祈った。そして、子供達にアブラハム、イサク、ヤコブの名が覚えられることによって、彼らもまた、主なる神を覚え、主なる神と共に歩むよう願った。こうして主なる神の祝福の源となる子孫がますます増え広がっていくことを、ヤコブは祝福の中に見ていた。
主なる神を信じて生きる者は、時代を超えて多くの信仰の家族に囲まれている。私達は、信仰の先達の証しと生き様に学び、同じ主なる神が今共にいて下さることを知った。そして、更に多くの人が主なる神の祝福を受け、祝福の源となっていくことを夢見ながら、この地上の旅路を主と共に歩み続けて行くことが出来る。
西原新生バプテスト教会
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