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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 テトスへの手紙1章

聖書日課 テトスへの手紙1章(新共同訳 新約pp.396-397)

 あなたは何に基づいて生きているか。このような質問をされたら、返答に躊躇してしまうかも知れない。

 何故かは分からないが、或る日、気が付いたらこの地上に生まれていた。そして、人生を自分のものだと思って何となく生きてきた。多感な青年期には「人生とは何なのだろう?」と考えることもあったが、そうした〈青臭い〉問いを頭から払い除け、日々の勉強や仕事、家のことに明け暮れるうちに、今日まで来てしまったという人も多いだろう。

 使徒パウロは同労者のテトスに次のように語っている。

「神の僕、イエス・キリスト使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです」(1~3節)。

「偽ることのない神」が、「永遠の昔」「約束」して下さった「永遠の命の希望に基づ」いて、自分を使徒とされた」パウロは言う。また、主なる神は、パウロに永遠の命の希望を「定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされ」た。つまり、主なる神は永遠の昔から私達の人生の全てをご計画されていた。私達の人生は、〈たまたま〉生まれ、いつか死ななければならない、偶然の命に基づいているのではない。

 私は聖書と出会うまで進化論を無批判に信じていた。しかし、高校生の時、アメリカ人の宣教師と出会い、聖書を読み始めた。聖書には、創造主なる神が万物を創造されたと記されていた。

 進化論は主なる神の創造を認めない。海の中で無機物から〈たまたま〉生命体が生まれ、それが長い時間をかけて徐々に進化しながら、その一部が〈たまたま〉陸に上がり、猿が〈たまたま〉猿人になり、猿人が〈たまたま〉人間になった。つまり、私達の存在の根拠は全て〈たまたま〉だと言っているわけである。だから、「何に基づいて生きているか」と質問されたら、「何故かは分からないが、〈たまたま〉生まれてきた。そして、偶然に基づいて生きている」と答えるしかない。

 しかし、主なる神は行き当たりばったりの方ではない。主なる神がお造りになった私達が偶然の産物、私達の人生の歩みが〈たまたま〉である筈がない。主なる神がパウロに、そして私達に永遠の命を与えようとされたのは、永遠の昔からのご計画、永遠の昔に約束されたことに基づいている

 勿論、主なる神のご計画の深さ、広さを、私達は理解しきれない。私には、これまでに何度か〈良い話〉が巡ってきたことがあった。しかし、全て直前になって、或いはあと一歩のところでご破算になった。キリスト者でない周りの方からは「巡り合わせの悪い人」とよく言われ、私自身、「自分は何故こんなに不運なのだろう」と嘆くことがあった。しかし、今から思えば、それは虚しいものに目を留めないための訓練だった。

 主なる神は、虚しいものに目もくれず、永遠の命に希望を置く人に、勝利を与えて下さる。御子イエス・キリストを与えるほどに、私達を愛して下さったことを認めて信頼し、感謝するだけである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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