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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ローマの信徒への手紙15章

聖書日課 ローマの信徒への手紙15章(新共同訳 新約pp.295-297)

 教会の交わりについて、使徒パウロ「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです」(1~2節)と語っている。

「えっー? そんな所なら私は行きたくありません」と言うなら、私達にはいつまで経ってもイエス・キリストの愛は分からないだろう。何故なら、パウロはこう述べているからである。

「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。『あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった』と書いてあるとおりです」(3節)。

 イエス・キリストの十字架は、まさにそのことを表している。イエス・キリストは、私達の救いと祝福のために、罪の呪いとその痛みの全てを十字架の上で身代わりに担って下さった。それによって、主なる神と私達の永遠の愛の交わりが回復された。それ故、パウロはこう奨めている。

「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(7節)。

「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように」。教会におけるキリスト者の交わりの根拠と中心軸がここにある。初めにイエス・キリストが罪人の私達を受け入れて下さったからこそ、私達も互いに受け入れ合うべきである。また、キリスト者の交わりは、人間同士の単なる親睦や交友ではなく、イエス・キリストにある主なる神の恵みを中心とした交わりであり、そこにおいてイエス・キリストの十字架に与ることが大切である。

 それ故、キリスト者の交わりには、喜びと共に痛みが伴うことを知らなければならない。受け入れ易い人を受け入れるだけでは、主にある交わりとはならない。受け入れ難い人をも受け入れる覚悟と忍耐があるところに、真の交わりが築かれる。それが、「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように」と言われていることの意味だろう。

 本章の後半で、パウロは、自分がしてきた宣教について述べている。それは多くの苦しみと痛みの伴う働きであった。しかし、パウロは、「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません」(18節)と言っている。パウロは、主なる神の僕として、いつでもどこでも、嫌なことも苦しいことも、全て主の御心に聞き従い続けてきた。それが使徒として召されたパウロの働きだった。都合が良ければ御心に従うが、少しでも自分に都合が悪くなると止めてしまう。それでは主なる神の僕として生きていくことにはならない。いついかなる時も、イエス・キリストに従い続けたパウロの信仰に、少しでも近づきたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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