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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙1章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.361-362)

 フィリピの信徒への手紙は、獄中書簡の一つと言われている。この手紙を書いた時、使徒パウロは、福音のために捕らわれの身となっていたからである。ところが、不思議なことに、この短い手紙の中には「喜び」という言葉が何度も出てくる。そのため、この手紙は昔から〈喜びの手紙〉と呼ばれてきた。

「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」(3~4節)。

 何故パウロは、牢獄に閉じ込められているような状況の中で喜ぶことが出来たのだろうか。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」(5節)とパウロは言う。つまり、パウロは自分自身のことで喜んでいたのではなく、フィリピの教会の兄弟姉妹がしっかりと福音に繋がっていることを喜び、祈っていた

 パウロ「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(6節)と述べている。たとえ自分は幽閉された身となっていても、パウロが心から愛する人々において主が「善い業」を継続し、必ず「その業を成し遂げてくださる」と確信していたからこそ、彼は喜ぶことが出来た。

 また、パウロは、自分が捕らわれの身となったことが、「かえって福音の前進に役立った」(12節)と語り、次のように記している。

「つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(13~14節)。

 イエス・キリストを宣べ伝えること、それがパウロの使命であったパウロの周りには、迫害者や反対者、更には「ねたみや争いの念にかられ」た者さえいた(15節)。しかし、パウロはこう言っている。

「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」(18節)。

 そして、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(20節)とパウロは断言した。ここに、使徒パウロの喜びの源があった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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