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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

主日礼拝宣教 2021年6月13日

主日礼拝宣教 2021年6月13日
マタイによる福音書14章22〜33節(新共同訳 新約pp.28-29)
「人生の海のあらしに」

0. はじめに

 人生には度々嵐がある。聖書によれば、人生の嵐は二つの理由で起こる。第一の理由は自分の罪によるもので、放蕩息子が遭った嵐はその代表である(ルカによる福音書15章11~16節)。第二の理由は主なる神のご計画の中で起こったもので、今日私達に与えられた御言葉はその代表である。
 22節によれば、イエス・キリスト「弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ」た。それは彼らを訓練するためであった。彼らが、五千人に食べ物を与えたイエス・キリストを、群衆と共に、王にしようとしたからである(ヨハネによる福音書6章15節)。そこで彼らを訓練するために舟に乗せ、湖で嵐に遭わせられた。
 私達も人生で嵐に遭う。仕事の問題、健康の問題、家族の問題などに直面し、悩み、苦しむことがある。しかし、それらは主なる神が私達を祝福するための愛の訓練である。では、どうすれば人生の嵐に勝利することが出来るだろうか。

1. イエス・キリストが万物の主であることを知ること

 25節に「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」とある。多くの人は「こういうことは到底信じられない」と言う。それはイエス・キリストが、ただの人間に過ぎないと思っておられるからである。しかし、イエス・キリストは人間を越えた主なる神であられ、万物の主であられる(コロサイの信徒への手紙1章15~16節)。イエス・キリストは、水も湖も嵐も自然法則も造られた方である。だから、湖の上を歩くことは何ら不思議ではない。
 奇跡とは、主なる神が造られた自然法則を、主なる神が一時的に変えられる出来事である。それ故、湖の上を歩いて「安心しなさい。わたしだ」(27節)と弟子達に言われた。しかも「わたしだ」「わたしはある」という荘重な言葉で(出エジプト記3章14節)、「私は万物の主である」という宣言である。自分は嵐を起こし、嵐を静める主であるという意味である。故に「恐れることはない」と言われた(27節)。
 作家の三浦綾子氏は著書『泉への招待』の中で、癌になった時「神は癌をもつくられた」という神学者の言葉に出会い、光が与えられたと語っている。そして「神は愛である。そうであれば私の癌は、必ずしも悪いものではない」と何度もベッドで呟いたという。イエス・キリストが万物の主であられることを信じるなら、私達は人生の嵐に勝利出来る。

2. イエス・キリストの御言葉に賭けること

 ペトロは、イエス・キリストが主であることが分かると、御言葉を求めた(28節)。そしてイエス・キリスト「来なさい」と言われると、その御言葉に賭けて舟から出た。すると「水の上を歩」くことが出来た(29節)。ペトロは、主の御言葉が真実であることを体験した。彼はこの体験の後、失敗も沢山しているが、成長した。
 このペトロの体験は、私達が御言葉に賭けるなら、不可能なことが可能になること、また信仰が成長することを示している。私達は人生の嵐に自分の力では勝利出来ないと思う。しかし御言葉に賭けるなら勝利出来る。

3. イエス・キリストから目を離さないこと

 ペトロは、イエス・キリストを見ている間は水の上を歩くことが出来た。しかし、「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけた」(30節)。このことから、人生の嵐に勝利するには、イエス・キリストから目を離すべきでないということを教えられる。
 主は私達と共におられる(イザヤ書41章10節)。信仰生活とは、この主を見続けることである(ヘブライ人への手紙12章2節)。私達は、人生の嵐に目を奪われていると沈んでいく。だから、イエス・キリストから目を離さないようにしよう。

4. イエス・キリストに助けを求めること

 ペトロは、沈みかけると「主よ、助けてください」と叫んだ(30節)。すると主は「すぐに手を伸ばして」(31節)彼を助けられた。
 このことから問題解決の道を教えられる。それは、自分で何かをしようとする前に、まず主に助けを求めることである(詩編50編15節)。私が昔ご指導を賜った牧師は「考えるより祈れ。心配するより祈れ」をモットーにしていた。私達もイエス・キリストに助けを求めよう。

5. 結び

 今、人生の嵐の中にある方がおられるかも知れない。嵐は辛いが、それは主なる神のご計画の中で起こっている。人生の嵐に勝利するため、イエス・キリストを主とし、御言葉に賭け、イエス・キリストから目を離さず、イエス・キリストに助けを求めよう。