聖書日課 ヨハネによる福音書2章(新共同訳 新約pp.165-167)
イエス・キリストと弟子達および母マリアが、カナで行われた結婚式に出席した(1~2節)。ところが、宴もたけなわの大事な時に、ぶどう酒が切れてなくなってしまった(3節)。
当時、ユダヤ人の婚礼は、数日間にわたって村人総出で行う大事なイベントだった。その席でぶどう酒が切れてしまうというのは、主催者にとって、とりわけ花婿にとって、大恥をかく大失態だった。
すると、母マリアがイエス・キリストのところに来て言った。「ぶどう酒がなくなりました」(3節)。「ぶどう酒がなくなったんだから、当たり前じゃない?」と思わないで欲しい。イエス・キリストは、招かれた客の一人であり、婚礼の主催者でも、宴会係でもなかった。しかし、この時マリアは信じていた。イエス・キリストなら、きっと何かしてくれる、と。
それに対し、イエス・キリストは言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(4節)。「自分の母親に対して、何と冷たい言葉だろう」と思われるかも知れない。しかし、この時イエス・キリストは、マリアの言葉の中に、メシアであるイエスへの期待を感じ取ったのではないか。とはいえ、まだその時は来ていない。母親の願いといえども、主なる神の時を人間が決めることは出来ない。
しかし、イエス・キリストはその家の召し使い達に言われた。「水がめに水をいっぱい入れなさい」(7節)。そして、更に言われた。「さあ、それをくんで宴会の世話役のところに持って行きなさい」(8節)。すると、その水は上質のぶどう酒に変わっていた! この時、婚礼の世話役は、驚いて花婿に言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」(10節)。
こうして、花婿の面目は守られ、婚礼は祝福の内に無事終わった。そして、ヨハネは最後にこう記している。
「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた」(11節)。
宴が主の祝福で満たされ、主の栄光が現され、主への信仰が湧き上がる…とても嬉しくなってくるような美しいエピソードである。
西原新生バプテスト教会
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