聖書日課 ヨハネによる福音書1章(新共同訳 新約pp.163-165)
ヨハネによる福音書を読むと、他の福音書とは少し雰囲気が違うと感じる人も多いのではないか。マタイとマルコとルカによる福音書は、〈共観福音書〉と呼ばれ、内容も構成も表現も、似ているところが多い。しかし、ヨハネによる福音書には、他の福音書に記されていない出来事や教えが沢山ある。
また、その表現や雰囲気も随分違うところがある。特に冒頭の部分などは、詩のような、哲学書のような、いかにも霊感された書という雰囲気が漂っている。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1~5節)。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。これはイエス・キリストが「神」であり「言」であることを意味している。「神」であるイエス・キリストによって世界は創造された。また、「言」であるイエス・キリストによって、目に見えない主なる神が啓示されている。
加えて、「言の内に命があった」と記されている。「命」とは主なる神との交わりである。言葉が私達にとって重要なコミュニケーションの手段であるように、「言」であるイエス・キリストは、主なる神と人の間に交わりをもたらす唯一の仲介者である。主なる神と人の間に平和な永遠の交わりをもたらすイエス・キリストの内にこそ「命」がある。
イエス・キリストは、言であり、神であり、命である。そして最後に、ヨハネは、この「命は人間を照らす光であった」と宣言している。希望の光、真理の光、私達を温かく包み込む主なる神の光……。「光」とは、主なる神の「言」であるイエス・キリストの内にある「命」、即ち主なる神との永遠の平和な交わりである。この主なる神との交わりの中にある時、私達は暗闇の中にあっても「光」に照らされながら、生きることが出来る。
「光は暗闇の中で輝いている」。ハレルヤ! アーメン!
西原新生バプテスト教会
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