聖書日課 ヨナ書4章(新共同訳 旧約pp.1447-1448)
「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。彼は、主に訴えた。『ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです』」(1~3節)
一体ヨナはどうしたというのだろうか? ニネベでの宣教活動が大成功に終わって、人々は皆悔い改めて悪から離れたというのに…。
実は、ヨナにとってはそれがどうしても喜べなかったのである。いや、それ以上に、怒りさえ覚えたのである。というのも、ニネベを首都とするアッシリアは、その時世界の覇者であり、イスラエルにとっては憎い敵国だったからである。
どうしてわざわざ敵の国にまで行って、主なる神の言葉を伝えなければならないんだ!
あんな奴らは、いっそのこと皆滅んでしまった方がいいじゃないか!
ヨナは、一度は悔い改めて主なる神に聞き従い、ニネベに行った。しかし、悔い改めたニネベの人々を見て、主なる神が災いを思い直されたことを知ると、彼の心には、再びアッシリアに対する憎しみと怒りが湧き上がってきた。その時、主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか」(4節)。
しかし、ヨナの怒りは治まることなく、都を出て東の方に行き、ニネベがどうなるか見届けようとした(5節)。その時主なる神は、とうごまの木を生え出でさせてヨナを強い日差しから守られた。そのため、彼の心はひと時落ち着いた(6節)。
ところが翌日、主なる神はそのとうごまの木を枯らせてしまわれた(7節)。それ故、ヨナは再び怒りにかられ、「生きているよりも、死ぬ方がましです」とまで言い出した(8節)。すると、再び主なる神の御声が響き渡った。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」(10~11節)
イスラエルを愛する主なる神は、アッシリアもまた愛しておられた。主なる神は、一人の罪人も滅びることを望んではおられない。却って、一人の罪人を惜しまれ、彼が悔い改めるのを忍耐して待っておられる(ペトロの手紙二3章9節)。