ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ミカ書1章

聖書日課 ミカ書1章(新共同訳 旧約pp.1449-1450)

 預言者ミカが活躍した紀元前8世紀後半は、イスラエル、ユダ両王国共に、経済的に豊かな時代であった。しかし、反面、霊的・道徳的・宗教的に最も退廃した時代でもあった。富む者が貧しい者を踏みにじり、倫理・道徳は乱れ、宗教的にはカナンの宗教を取り入れて、偶像崇拝が蔓延っていた。

 預言者ミカは、こうしたユダとイスラエルの罪と堕落の故に、主なる神の祝福が阻まれ、国家の崩壊が近づいていることを警告した(2~5節)。そして、その警告通り、まず北王国イスラエルアッシリアによって跡形もなく滅ぼし尽くされた(6~7節)。更に、ユダとの盟約を破ったアッシリアが、ユダの都エルサレムにまで攻め寄せてきた(9節)。

 ミカ書は、全体として3つの部分から成っている。最初の部分(1~2章)は、サマリアエルサレムに対する裁きの警告である。第二の部分(3~5章)では、政治的・宗教的指導者に対する裁きと警告が語られている。第三の部分(6~7章)では、民に対して主なる神の正しい道が示されている。その上で、民の救いを懇願して終わっている。ここで注目しておきたいのは、3つの部分が全て「聞け」という預言者の語りかけから始まっていることである(1章2節、3章1節、6章1節)。

〈聞く〉ことは、聖書の、そして信仰のキーワードである。聖書全巻を通して、主なる神は私達人間に〈聞く〉ことを勧めている(申命記6章4節、マルコによる福音書4章9節など)。何故なら、信仰は聞くことから始まるからである(ローマの信徒への手紙10章17節)。

 しかし、実際、聞くということは何と難しいことだろう。藤木正三牧師は著書『神の風景』(ヨルダン社、1985年)の中で、〈聞く〉ということについて以下のように述べている。

「友の意見を聞く、先輩の意見を聞く、後輩の意見を聞く、親の意見を聞く、子の意見を聞く、反対する者の意見を聞く、敵の意見を聞く、大衆の意見を聞く、総じて自分以外のものの意見を聞くということは自分が正されてゆくことです。自分は正しいとする私有観念が壊されてゆくこと、自分が拠所としていることを問いなおしてゆくこと、聞くということはそういうことです。語るよりも聞くことの方が消極的な受け身の態度でありながら、内的に充実して深みをたたえているのは、『自分を捨てる』ことがそこにあるからです」

 自分を捨てること、それが〈聞く〉ということの真の意味である。