聖書日課 マタイによる福音書11章(新共同訳 新約pp.19-21)
バプテスマのヨハネが現れて、人々に悔い改めを説いた。しかし、多くの人々は、ヨハネの言葉に耳を傾けることもなく、却って「あれは悪霊に取りつかれている」とヨハネを批判した(18節)。
次に、イエス・キリストが現れて、天の国の福音を説いた。しかし、やはり多くの人々は、イエス・キリストの語る言葉に耳を傾けることはなく、却って「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」とイエス・キリストを嘲った(19節)。
これは、イエス・キリストの時代も、今の時代も全く同じである。今や、世界中で福音が説かれている。しかし、本当に福音に耳を傾けて聞き従う人は少ない。私達の国が、まさにそういう国であると言えるだろう。
しかし、よく考えてみると、イエス・キリストの時代に問題とされているのは、主なる神の選びの民であるイスラエルの人々である。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった」のは(17節)、異邦人や異教徒ではなく、選ばれて神の民となった人々、主なる神の御言葉をいただいている筈の人々だった。
それを今の時代に当てはめると、どうなるだろうか。それは、イエス・キリストを信じて救われたキリスト者、そしてその群れである教会ではないだろうか。神の民の中に住み給う聖霊なる神は、今日もキリスト者の心に語りかけておられる。また、聖霊なる神は、キリストの体である教会を導き、強め、建て上げるために、今日も働いておられる。その御声に、私達はどれほど耳を傾け、従っているだろうか。
イエス・キリストは、今日も、私達にこう呼びかけておられる。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(28~29節)。
祈り
天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日も、御前に引き出して下さいました。疲れ、落胆し、祈ることも出来なくなる私達を顧み、祈りの中へと導いて下さることを心から感謝致します。
主よ、私達が自分では負いきれない罪の重荷、罪の悲しみを、あなたの十字架の御許に降ろすことが出来ることを感謝致します。
あなたは、このような罪深い者と共に生きるため、私達の罪の重荷を背負うため、低くなってこの世にやって来て下さいました。今、私達一人一人の傍にいて、共に歩き、同じ運命を生きて下さいます。
あなたと同じ「くびき」に繋がれた今、私達は、天の国の民となりました。あなたがいらっしゃる所にご一緒出来る幸いを心から感謝致します。
主よ、今、苦しみの中にある方、痛みと絶望の中にある方と共にいて下さい。苦しみの中にあっても、なお、あなたにある希望を告白することが出来るよう、力づけて下さい。
困難の中で日々奮闘している方を助け、知恵と勇気を与えて下さい。互いに助け合う愛と力を私達一人一人に満たして下さい。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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