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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記6章

聖書日課 ヨシュア記6章(新共同訳 旧約pp.346-348)

 ヨシュア記は救いを得るための記録ではない。救いは、奴隷の地エジプトから贖い出されたことであって、約束の地に入ることは次の段階を意味している。ヨシュア記は、救いを受けたイスラエルが、主なる神の用意された約束を受け取る物語である。

 その約束とは、約束の地カナンにおける〈勝利〉と〈豊かさ〉と〈安息〉である。

 この原則は新約のキリスト者にも当てはまる。過越の小羊として死なれたイエス・キリストを信じて、私達は〈出エジプト〉した。罪と死による悪魔の支配から出て来た。最早私達を滅ぼすものはない。イエス・キリストを信じる者の「教会」に対しては、「陰府の力」「対抗できない」(マタイによる福音書16章18節)。

 しかし、信じて救われた私達は、その後どのように生きるのだろうか。救いを受けながら、世に翻弄され、無力な生き方をするのを主は願っておられない。主なる神は、勝利と豊かさと安息を与えようと約束されている。

「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(ヨハネの手紙一5章5節)。

「私は既に世に勝っている」と宣言されたイエス・キリストは(ヨハネによる福音書16章33節)、私達が世に勝利することを願っておられる。

 主が既に約束されている勝利を得るために、私達は約束を信じて一歩踏み出さなければならない。約束の地に足を踏み入れたイスラエルの戦いは、私達の霊的戦いを表している。エリコの町を聖絶するのも、私達が罪と戦ってそれを完全に滅ぼしてしまうための予型である。

 さて、イスラエルは、これからエリコの町を攻め取ろうとしていた。戦いを前にして、主はヨシュアに言われた。

「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す」(2節)。

 何という驚くべき恵みだろうか。主なる神は既に勝利を約束されている。私達のすべきことは、主なる神の約束を信じて、大胆に一歩踏み出すことである。主の勝利の約束を信じて、悪魔に立ち向かうことである。

「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます」(ヤコブの手紙4章7節)。

 話を戻すと、ヨシュアに対する主なる神の命令は次のようなものであった。

「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい」(3~5節)。

 人間的には全く愚かに思えることを、主なる神は命じられる。イエス・キリストの福音も、滅び行く人々には愚かに聞こえる。だから、パウロはこう告げている。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(コリントの信徒への手紙一1章18節)。

 エリコの町を歩き回るイスラエルの人々の中にも、このようなことをして何になるのかと疑う者がいたかも知れない。しかし、疑わないで御言葉に期待しよう。主なる神の御言葉は必ずそうなる。

 主なる神の御言葉の通りになると信じた者は幸いである。

 イエス・キリストを胎に宿したマリアも、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と御言葉に従った(ルカによる福音書1章38節)。信じる者の中で、主なる神の御言葉は宿り、成長し、現実となる。

 イスラエルの人々は御言葉の通りに行った。そして御言葉に期待した。すると奇跡が起こった。彼らが「一斉に鬨の声をあげると」、エリコの「城壁が崩れ落ち」た。そして、これによってイスラエル軍はエリコを攻め落とした。

「角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した」(20節)。

 イスラエルの人々は荒れ野で過ごしていたので、ろくな武器もなかっただろう。兵士としての充分な訓練もなかっただろう。しかし、彼らには主なる神の御言葉があった。主なる神の御言葉が共にあるとは、主なる神が共におられるということである。主なる神が共におられること、これ以上に確実なことはない。これ以上に勇気づけられることはない。

 だから、主なる神をお迎えするような心で、御言葉を受け入れよう。主なる神に従うような心で御言葉に従い、主なる神に期待するような心で御言葉に期待しよう。

 主なる神の御言葉への期待は、7日間も同じことを続ける原動力となった。イスラエルの人々は主なる神の御言葉に期待して「町の周りを回り」「七日目には、町を七周」した。

〈7〉は主なる神の完全を意味する。6日で諦めてはならない。6周で終わってはならない。時が満ちるまで、主なる神の御言葉に期待して続けよう。カナでの婚礼で、イエス・キリストに命じられた「召し使いたち」「かめの縁まで水を満たした」ように(ヨハネによる福音書2章7節)、御言葉に服従しよう。

 御言葉を確認する。御言葉に従う。そして、御言葉に期待する。これが、イスラエルが勝利を得た経過であり、勝利を得るための法則である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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