聖書日課 マタイによる福音書5章(新共同訳 新約pp.6-9)
マタイによる福音書の特徴の一つは、イエス・キリストの宣教が沢山記されていることである。その中でも最も有名なのが、〈山上の説教〉と呼ばれる5~7章にわたる教えである。そして、この宣教の最初に語られたのが、次の御言葉である。
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである」(3節)。
「心の貧しい人々」とはどういう人のことを言うのだろうか? 勿論、心が狭い人とか、心が卑しい人という意味ではない。これは、霊的な貧しさを知っている人、霊的に深く飢え渇いている人のことである。
或る神学者は、このことを〈心が空っぽになった状態〉と表現した。つまり、権力、お金、名声、人など、この世の何ものによっても心が満たされないことを知っている人のことである。だからこそ、このような人は、「天の国」を真剣に求める。そして、「天の国はその人たちのものである」とイエス・キリストは言われた。
真の「幸い」は、この世のものによってもたらされることはない。祝福の源は「天の国」に、つまり主なる神の愛による支配の下にこそある。
今あなたは、生きることに空しさや、不安や、恐れを覚えているかも知れない。どうしても、何によっても心が満たされないと感じているかも知れない。
勿論、その原因は人によって様々だろう。しかし、一つ確かに言えるのは、真の満たしは「天の国」にあるということである。私達が主なる神の御前にひれ伏し、その愛の支配の下に入る時、空しさや不安や恐れは全て消え去り、真の平安と喜びに満たされる。この平安と喜びは、この世の何ものによっても得ることは出来ない。「天の国」における主なる神との愛の交わりによってのみ味わうことが出来る。
あなたはこの平安と喜びの中に生きているだろうか。そして、この喜びと平安を、日々味わいながら歩んでいるだろうか。
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネによる福音書14章27節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みに包んで、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。
主よ、私達は自分の心の貧しさ、霊の貧しさをなかなか自分で認めることが出来ないでいます。少なくともこの心だけは豊かなものであるようにと自分に言い聞かせるように生きてきました。
しかし、どんなに表面的に親切そうに、あたかも立派な心を持っているように振る舞っても、この心の意地悪さ、卑しさを否定することは出来ません。
にもかかわらず、あなたは、このような者も愛し、あなたの溢れる御霊で、私を満たして下さいました。相変わらず私は心貧しく、心卑しい者です。しかし、あなたが満たして下さるから、天の喜びの中、天の御国の祝福の中にいることが出来ます。
主よ、あなたは不思議な方です。低められた者と共にいて下さいます。
どうか、自分の心を自分で満たすことが出来ず、霊の渇きに苦しむお一人お一人を、あなたご自身が訪れ、満たして下さい。お一人お一人に天の御国の祝福を注いで下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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