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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書29章

聖書日課 イザヤ書29章(新共同訳 旧約pp.1104-1106)

 29章には神の民イスラエルに対する裁きの宣告が記されている。「アリエル」とは、エルサレムを指している。

「ああ、アリエルよ、アリエルよ/ダビデが陣を張った都よ。年毎に、祭りの数を増し、巡り来らせよ。そのとき、わたしはアリエルを苦しめる。アリエルには嘆きと、ため息が臨み/祭壇の炉(アリエル)のようになる。わたしはお前を囲んで陣を張り/砦を築き、城壁を建てる。お前は倒されて地の下から語り/お前の言葉は塵の下から鈍く響く。亡霊のようなお前の声は地の下から聞こえ/お前の言葉は塵の下からかすかに響く」(1~4節)。

 何故イスラエルは滅んだのか。軍事力が不足していたからか。経済力が足りなかったからか。それとも政治的手腕が無かったからか。

 決してそうではない。罪のために国の指導者の信仰の「目」がふさがれ、主の御心が「見えなくな」ってしまったからである。

「ためらえ、立ちすくめ。目をふさげ、そして見えなくなれ。酔っているが、ぶどう酒のゆえではない。よろめいているが、濃い酒のゆえではない。主はお前たちに深い眠りの霊を注ぎ/お前たちの目である預言者の目を閉ざし/頭である先見者を覆われた」(9~10節)。

 指導者の「目」がふさがれれば、当然その「民」の目もふさがれる。

「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ』」(13節)。

 このように、神の民であっても、主なる神に対する信仰の「目」がふさがれるなら、国も個人も滅びる。しかし、主なる神は神の民を見捨てたままにはされない。裁きの後に再び回復の希望を与えて下さる。

「その日には、耳の聞こえない者が/書物に書かれている言葉をすら聞き取り/盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる。苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い/貧しい人々は/イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る」(18~19節)。

 信仰の「目」をもって主なる神を見、信仰の「耳」をもってその御声を聞く…その時、「苦しんでいた人々」「喜び祝い」「貧しい人々」「喜び躍る」。これが主なる神の約束である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな御愛と御恵みに包まれ、御前に祈りを献げられることを感謝致します。

 主よ、心の貧しいこの私、自分で自分の心をどうすることも出来ない、この惨めな者を憐れんで下さい。

 私は、若い時、霊の世界のことが自分で分かる人間になりたいと願いました。しかし、あなたは私の願いを退け、私の目と耳を閉じられました。そして、聖書の言葉に耳を傾けるようにと導かれました。

 そこで私が知ったのは、大鐘のように鳴り響くあなたの声、太陽の光よりもまばゆいあなたの光でした。

 あなたは私の心を貧しくされました。しかし、それはあなたの御声を聞くため、あなたの光を見るためでした。主よ、私は何と幸いなことでしょう。

 主よ、どうか、これまであなたが導いて下さったように、導き続けて下さい。あなたの御恵みは余りにも大きく、私はあなたに何と申し上げたらよいか分からずにいます。主よ、感謝します。

 心の貧しさに泣くお一人お一人の傍にいて、あなたご自身が癒し慰めて下さい。その耳と目を開き、溢れるあなたのご臨在で包み込み、満たして下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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