聖書日課 ゼファニヤ書3章(新共同訳 旧約pp.1473-1475)
ゼファニヤ書は、ユダと周辺諸国に対する厳格な裁きの書である。ここには、人々の犯した罪が鋭く指摘され、その罪に対する主なる神の厳しい裁きが宣告されている。
しかし、ゼファニヤ書は、裁きだけで終わる書ではない。裁きの向こうに回復と祝福があることを、はっきり伝える書でもある。ゼファニヤは、3章9節以降で、その祝福のイメージを高らかに描き出している。
「その後、わたしは諸国の民に/清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え/一つとなって主に仕える。クシュの川の向こうから/わたしを礼拝する者/かつてわたしが散らした民が/わたしのもとに献げ物を携えて来る」(9~10節)。
これは、福音が全世界に伝えられ、主を信じて崇める民が世界中で起こされることを預言したものである。今、私達は、ゼファニヤの預言通りのことが起こっているのを、この目で見ている! 世界中で20億以上の人々が「主の名を唱え」、イエス・キリストを信じ崇めているからである。
また、イスラエルの民についてもこう預言されている。
「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない」(14~15節)。
一度は罪のために厳しい裁きを受け、国を失い、世界中に散らされていた神の民イスラエルが、再び一つになって、心の底から喜び躍る者とされるというのである。その喜びの源は何かと言えば、「イスラエルの王なる主はお前の中におられる」という、主の臨在そのものである。
しかも、喜ぶのは人々だけではない。主なる神ご自身がイスラエルを喜び楽しむと言われている。
「主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」(17節)。
主なる神が私達を「喜び楽し」んで下さる。とても嬉しいことである。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみに包まれ、御前に祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、私達は、あなたがどれほど私達を愛して下さっているか、知ることが出来ずにいます。罪によって心が閉ざされ、あなたの愛と喜びよりも、あなたの厳しさと裁きの言葉に心が委縮してしまいます。
そのような時、どうか御子イエス・キリストの十字架に心を向けることが出来るよう、私達を導いて下さい。
主よ、御子イエス・キリストは、このような私に対する溢れる喜びの故に十字架にかかって下さったというのですか。それほどまでに私を喜んで下さっているのですか。
主よ、あなたの喜びをこの中にも満たして下さい。あなたの喜びを知る時、私も喜ぶ者となるでしょう。罪から立ち上がることが出来るでしょう。
主よ、感謝します。
痛みと苦しみの中で喜びを感じることが出来ず、倒れているお一人お一人をあなたご自身が訪ねて下さり、背負い、今日の一歩を運んで下さい。あなたの喜びを注いで下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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