聖書日課 マタイによる福音書3章(新共同訳 新約pp.3-4)
マタイは、1章から2章にかけてイエス・キリスト誕生の出来事を記してきたが、3章に入ると、一足飛びにイエス・キリストの公生涯の始めの出来事について記している。本章の前半ではバプテスマのヨハネの活動について、後半では主イエス・キリストのバプテスマについて記されている。
バプテスマのヨハネは、ユダヤの荒れ野で「天の国が近づいた」と説き、「悔い改め」を迫った(1~2節)。「天の国」とは、主なる神の主権と支配を意味する。ヨハネは、いよいよメシア(救い主)が来臨し、世を支配する時が来たと宣言したのである。
大勢の人々が「ヨハネのもとに来て」、「ヨルダン川で」悔い改めのバプテスマを受けた(5~6節)。その中の一人に、主イエス・キリストがいた(13節)。ヨハネは驚き、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」と「思いとどまらせようとし」た(14節)。ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けていたが、イエス・キリストは唯一罪のない方だったからである。しかし、イエス・キリストはこのようにお答えになった。
「今は、止めないでほしい、正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(15節)。
主イエス・キリストは、何故バプテスマを受けられたのだろうか。それは、イエス・キリストが私達の罪の全てを身代わりに背負う救い主として来られたからである。つまり、イエス・キリストは罪人の代表として悔い改めのバプテスマを受けて下さったのである。そういう意味で、ここには既にイエス・キリストの十字架が指し示されているとも言えるだろう。
イエス・キリストが、バプテスマを受け、「水の中から上がられ」ると、「そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった」と記されている。そして、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、「天から聞こえ」てきた(16~17節)。ここに、父と子と聖霊の三位一体の神の臨在が現された。
この時天から聞こえてきた声は、勿論主イエス・キリストに対して言われた言葉である。しかし、イエス・キリストが罪人の身代わりであり代表である故に、この言葉は、イエス・キリストを信じる私達にも語りかけられていると受けとめることが出来る。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」…この主なる神の語りかけを、日々心に聴き続けていくこと、そこに恵みと平安の源がある。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、私達は罪に慣れ、その中に生きているため、謙遜であるということが何を意味するのか、分からなくなってしまっています。あなたの御前にひれ伏して罪を悔い改めるということの意味、その恵みが分からなくなってしまっています。
主よ、あなたはそのような私達の罪をその身に引き受け、私達に代わり罪を告白し、身を低くしてバプテスマを受けて下さいました。それによって始められたあなたの宣教のご生涯は、十字架という贖いの業によって完成しました。
主よ、あなたの謙遜が天を開きました。あなたの謙遜によって私は救われ、義とされ、命を与えられました。この感謝と喜びをどのように表現したら良いでしょうか。
あなたに心からの賛美と感謝をお献げ致します。主よ、あなたこそ、栄光と誉れと賛美を受けるに相応しい方です。
あなたの御前にひれ伏しながら、私も低くなって罪を告白しつつ、日々あなたに立ち帰りつつ、御前に歩んでいくことが出来ますよう、助け導いて下さい。
感謝して、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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