聖書日課 イザヤ書8章(新共同訳 旧約pp.1072-1073)
イスラエル王国と周辺の国々による対アッシリア「同盟」からの攻撃を恐れたユダ王国の人々は、イザヤの警告にもかかわらず、アッシリアに頼ろうとしていた。目に見える敵の脅威に対し、目に見える力に頼ろうとするのは、現実的かつ実際的な判断ということになるだろう。
しかし、それは信仰による判断ではない。目に見える世界しか見ず、手に触れることの出来るものしか信じようとしない人は、結局、目に見えるものを「恐れ」、手に触れることの出来るのに縛られてしまう。それは、目に見えない主なる神を畏れることを知らないからである。
目に見えない「万軍の主をのみ」畏れ敬う時、私達は、目に見える人間や状況への「恐れ」から解放される。ここに信仰によって生きる者の力がある。
「主は御手をもってわたしをとらえ、この民の行く道を行かないように戒めて言われた。あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを/何一つ同盟と呼んではならない。彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主」(11~13節)。
主なる神がイザヤに語った言葉はまさにそのことである。ユダの民の不信仰と頑なさの中にあったイザヤに対し、主なる神は「この民の行く道を行かないように戒め」られた。
この時、民は皆「同盟軍が攻めて来る!」と言っては、身近に迫る対アッシリア「同盟」の脅威に怯えきっていた。人々は目に見える敵の存在に「恐れ」「おののいて」いた。それ故、主なる神は、真に「畏るべき方」は誰かを示して、イザヤを励まされた。
「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主」。
この言葉によって、イザヤは、「同盟」軍にも、頑ななユダの民にも恐れたり縛られたりすることなく、主なる神への信仰に立ち続ける勇気を得たに違いない。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみと慈しみに包まれ、御前に引き出していただいたことを心から感謝致します。
主よ、あなたは私達と共にいて下さいます。私達が正しかったからではありません。私達は滅ぶべき者でした。しかし、この滅ぶべき者とあなたが共にいて下さったから、私達は滅びず、救われました。
あなたは私達と共にいて、私達の滅びをその身に受けて下さいました。
インマヌエルの主よ、あなたが共にいて下さることの意味を深く知ることが出来ますように、そして罪に死んで、あなたの義に生きる毎日を生きることが出来ますよう、支え、導いて下さい。
今日も尊いあなたの子供達と共にいて、守り支えて下さい。インマヌエルのあなたと共に生きる喜びと輝きをお一人お一人に与えて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス