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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書3章

聖書日課 イザヤ書3章(新共同訳 旧約pp.1065-1066)

 3章には、エルサレムとユダに主なる神の審判が下され、彼らの「支えとなり、頼みとなる者」「取り去られる」という預言が記されている。

「見よ、主なる万軍の神は/支えとなり、頼みとなる者を/また、パンによる支え、水による支えをも/エルサレムとユダから取り去られる。勇士と戦士、裁きを行う者と預言者/占い師と長老/五十人の長と尊敬される者/参議、魔術師、呪術師などを取り去られる」(1~3節)。

 人は誰でも、何かに支えられ、何かを頼みとして生きている。ところが、人生には、その「支え」「頼み」とするものが突然奪い去られるということがある。そのような時、大抵私達は絶望的になり、「どうして私だけがこんな目に遭うのだろう?」「この世に神も仏もあるものか!」と自暴自棄になってしまう。

 しかし、イザヤは続けてこう宣言した。

「しかし言え、主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる」(10節)。

 頼みの綱を失った時こそ、私達は知らなければならない。本当に私達を支えているのは誰なのか。真に私達が頼るべき御方は誰なのかということを。主なる神の裁きには、私達に対するそういう大事なメッセージが込められているのではないか。

 つまり、裁きを通してでさえ、主なる神は私達を救おうとしておられる。勿論、それまでの間、主なる神は何度も何度も警告して下さる。しかし、私達があくまでも頑なに主なる神を拒否し、偶像に依り頼み続ける時、主なる神は、最後に私達への裁きの手を伸ばされる。

 その時、私達にとって何よりも大切なことは、苦難や問題の只中で、決して投げやりになったり絶望することなく、主の御前に謙り、主の御声に耳を傾け、それに聞き従うことである。こう約束されているからである。

「あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる」(申命記30章2~3節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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