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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書1章

聖書日課 イザヤ書1章(新共同訳 旧約pp.1061-1063)

 今日から預言書を読んでいく。最初の書はイザヤ書である。本書は紀元前8世紀の後半に記されたと言われている。イザヤが預言者として召命を受けたのは、南ユダ王国の中興の祖と呼ばれるウジヤ王が死んだ年である。それは長い繁栄の時代が終わり、下降線を辿り始める時代であった。

 しかし、それは政治的、経済的な状況のことだけではない。寧ろイスラエルの民の信仰的、倫理的な現実を物語っている。預言者は、目に見える政治や経済を、目に見えない霊的、信仰的な世界との関わりの中で語っている。

「災いだ、罪を犯す国、咎の重い民/悪を行う者の子孫、堕落した子らは。彼らは主を捨て/イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた。何故、お前たちは背きを重ね/なおも打たれようとするのか/頭は病み、心臓は衰えているのに」(4~5節)。

 長く続いた繁栄の中で、イスラエルの人々の心は、主なる神に対する真実な信仰から次第に離れていった。形式的には、相変わらず神殿で多くのいけにえが献げられていた。しかし、主なる神は心と実質の伴わないいけにえを決して喜ばれず、人々にこう訴えかけられた。

「お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を/洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ/善を行うことを学び/裁きをどこまでも実行して/搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り/やもめの訴えを弁護せよ」(15~17節)。

 信仰は、形式や儀式ではない。真実な愛と正義による生き方にこそ本質がある。その本質を蔑ろにして形だけの信仰に陥る時、祝福は失われ、やがて必ず滅びがやって来る。

 しかし、主なる神は決して人々を見捨ててはおられない。預言者を通し、彼らに向かって語りかけられる。

「論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。お前たちが進んで従うなら/大地の実りを食べることができる」(18~19節)。

 主なる神は既に語りかけて下さっている。あとは聞き従うだけである。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの深い慈しみ、大きな恵みの御手に包まれて、御前に引き出され、祈りを献げられることを感謝致します。

 主よ、あなたは罪が蔓延ることをお許しにならない方であり、罪を滅ぼされます。しかし、罪深いこの私を滅ぼさず、あなたの十字架の血潮によってもう一度創造し、新たにして下さいます。

 イザヤを通して語られたあなたの絶大な恵みの言葉を聞こうとしております。「来たれ」と招いて下さるあなたの御声に引き寄せられ、御前にある私達一人一人にあなたの御言葉を聞かせて下さい。私達の心の耳、霊の耳を開いて下さい。

 あなたの御言葉を聞く時、私達は新たなものと造り変えられます。あなたの御言葉は、全てのものを創造し、完成する力だからです。

 どうかこのイザヤ書の学びをお導き下さい。

 今日も尊いあなたの子供達を守り、支え、あなたの御言葉によって生かして下さい。苦しみや痛みの中にある方にあなたの解決をお与え下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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