聖書日課 イザヤ書7章(新共同訳 旧約pp.1070-1072)
「ユダの王」アハズの時代、北に「アッシリア」という強大国が勃興し、「イスラエル」周辺の国々は対アッシリア「同盟」を結んで対抗した。しかし、アハズ王はこれに与しなかった。そのため、同盟国が「エルサレムを攻めるため上って来た」(1節)。
「主はイザヤに言われた。『あなたは息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野に至る大通りに沿う、上貯水池からの水路の外れでアハズに会い、彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。アラムを率いるレツィンとレマルヤの子が激しても、この二つの燃え残ってくすぶる切り株のゆえに心を弱くしてはならない』」(3~4節)。
敵国「アラム」とイスラエル王国が「同盟したという知らせ」がユダ王国に届くと、ユダ王国の王アハズと「民の心」は、「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」と記されている(2節)。敵が徒党を組んで攻め入ろうとしているのだから、その気持ちはよく分かる。私達は目に見える現実に大きく左右されるからである。
だから、そのような状況の中で、「落ち着いて、静かにしていなさい」と言われても、なかなかそう出来ないというのが現実だったのではないか。
しかし、この時主なる神はアハズに「信じなければ、あなたがたは確かにされない」と言われた(9節)。ここに信仰の真髄がある。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とあるように(ヘブライ人への手紙11章1節)、まだ見えていないことを、どこまでも信じて生きるところにこそ信仰がある。
にもかかわらず、アハズは信じようとしなかった。それ故、主なる神は一つの「しるし」を彼に「与えられ」た。
「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ」(14節)。
「その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる」(16節)。
これは、イエス・キリストのご降誕のお告げに引用された大事な預言である(マタイによる福音書1章23節)。「インマヌエル」(神は我々と共におられる)。この信仰の上に立つ時、私達はどのような状況の中にあっても、「落ち着いて、静かにしてい」ることが出来、「恐れ」ずに現実を受けとめて乗り越えていくことが出来る。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな恵み、慈しみに包まれ、御前に引き出していただいたことを、心から感謝致します。
「インマヌエル」の主よ、あなたは私達と共にいて下さいます。順境と思われる時も、逆境、人生の危機、生命の危機の只中にある時も、また罪の中に喘いでいるような時も、あなたは私達を見捨てず、傍にいて下さいます。
あなたこそ、私達に与えられた「しるし」です。共にいて下さるあなただけに信頼して毎日を過ごすことが出来ますように。
今日も、痛みや苦しみ、嘆きの中にある方と共にあって下さい。人生のどん底と思われるところに来て下さるあなたと出会うことが出来ますように。あなたとの深い交わりをいただくことが出来ますように。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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