聖書日課 雅歌6章(新共同訳 旧約pp.1055-1056)
4章には、若者からおとめに向けての愛の告白の言葉が記されていたが、6章には、それと少し違った表現が見られる。
「恋人よ、あなたはティルツァのように美しく/エルサレムのように麗しく/旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。わたしを混乱させるその目を/わたしからそらせておくれ。あなたの髪はギレアドを駆け下る山羊の群れ。歯は雌羊の群れ。毛を刈られ/洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない。ベールの陰のこめかみはざくろの花」(4~7節)。
これは、暫くの間離れ離れになっていた恋人が再び出会った時に、若者がおとめに言った愛の言葉である。「美しく」とか「麗しく」というのは分かるが、「恐ろしい」とはどういうことだろうか? まさか〈鬼嫁〉のようになってしまったということではないだろう。
それは、「旗を掲げた軍勢のように」と表現されているように、美しくはあっても弱くて初心な女性ではなく、目を見張るほどの威厳と逞しさを具えた女性であることを意味しているのではないか。愛するおとめの中に、そのような魅力を感じ取った若者の驚きを垣間見ることが出来る。
だからこそ、若者はこう告白する。
「王妃が六十人、側女が八十人/若い娘の数は知れないが/わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。その母のただひとりの娘/産みの親のかけがえのない娘。彼女を見ておとめたちは祝福し/王妃も側女も彼女をたたえる」(8~9節)。
「王妃」や「側女」や「若い娘」は数多くいるけれども、私が愛する「おとめ」のような女性は他にいない。「ただひとりの娘」であると語られている。これは恋人から夫婦への自覚の深まりであると言える。そして、私達(教会)に対するイエス・キリストの思いでもある。
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした」(エフェソの信徒への手紙5章25節)。
西原新生バプテスト教会
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