聖書日課 雅歌5章(新共同訳 旧約pp.1054-1055)
夜、おとめの家に若者が訪れ、「戸をたたいて」「開けておくれ」と呼びかけた。ところが、おとめは既に床の中におり、若者の来訪に胸が「高鳴り」つつも(4節)、戸を開けるのを躊躇っていた。そして、ようやくおとめが床から起きて「戸を開いたときには」、そこにはもう若者の姿はなかった(6節)。
「眠っていても/わたしの心は目覚めていました。恋しい人の声がする、戸をたたいています。『わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。わたしの鳩、清らかなおとめよ。わたしの頭は露に/髪は夜の露にぬれてしまった。』衣を脱いでしまったのに/どうしてまた着られましょう。足を洗ってしまったのに/どうしてまた汚せましょう」(2~3節)。
おとめは若者を「求めて」、闇の中を捜し回った。しかし、若者は見つからなかった(6節)。代わりに、「夜警」に「見つか」っては叩かれ、「城壁の見張り」には「衣をはぎ取」られてしまった(7節)。その時、おとめは「エルサレムのおとめたち」に言った。「もしわたしの恋しい人を見かけたら/わたしが恋の病にかかっていることを/その人に伝え」て欲しいと(8節)。
すると、「エルサレムのおとめたち」は言った。
「あなたの恋人はどんなにいい人なんでしょうか。あなたにこんな誓いをさせるとは」(9節)。
おとめは答えて言った。
「わたしの恋しい人は/赤銅色に輝き、ひときわ目立つ。頭は金、純金で/髪はふさふさと、烏の羽のように黒い」(10~11節)。
「その口は甘美、なにもかもわたしを魅惑する。エルサレムのおとめたちよ/これがわたしの恋する人、これがわたしの慕う人」(16節)。
これは、おとめと若者の恋愛の歌である。しかし、私達の信仰の歩みにも似ている。イエス・キリストは私達の心の戸を叩いている。しかし、私達は、躊躇っているうちにイエス・キリストを見失い、暫くの間、暗闇をさまようということがないだろうか。その意味で、これは一つの大切な教訓の歌でもある。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」(ヨハネの黙示録3章20~22節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かい愛、溢れる慈しみに包まれて御前に引き出され、祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、私はあなたの一方的な愛に赦され、包まれて、あなたの花嫁として迎え入れていただき、あなたと一つになる喜びと誉れをいただきました。それなのに、何度も自分の都合を第一にして、あなたを悲しませ、あなたを見失うような愚かさを繰り返してきました。
しかし、あなたはそのような者に聖書の言葉を与え、あなたの素晴らしさを告白出来るように導いて下さいました。あなたは、他に比べるべき者のない、絶大な方、ただ一人栄光と誉れを受けるべき方です。
このようにして、あなたは私の心を整え、あなたとの再会の備えをして下さいました。あなたは、私を見捨てていたのではなく、私をじっと見つめつつ、待って下さっていました。
私は何度も同じ過ちを繰り返す、愚かな者です。しかし、あなたの愛に包まれ、赦されることを経験するうちに、私もあなたを第一とする者に変わることが出来るでしょうか。あなたの御思いをこの私の思いとする者に変わっていくことが出来るでしょうか。主よ、お導き下さい。
今日もあなたの子供達、あなたなしでは生きていけないお一人お一人と共にあって下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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