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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下24章

聖書日課 歴代誌下24章(新共同訳 旧約pp.700-702)

 アタルヤによる恐怖政治が終わり、ユダ王国では、祭司ヨヤダの後見のもと、ダビデの子孫ヨアシュによる統治が始まった。

「ヨアシュは七歳で王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。ヨアシュは祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った」(1~2節)。

 ヨアシュ王は「祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った」。彼は、「悪女アタルヤとその子たち」によって損なわれた「主の神殿の修復に意欲を示し」(4節、7節)、「祭司とレビ人」に命じて「資金を集め」させ、神殿修復に「速やかに取りかか」るよう命じた(5節)。しかも、その事業が速やかに進められない事態を見るや、「一つの箱を作らせ」「主の神殿の門の外に置かせ」(8節)、律法に定められた「税を主に納めるよう」人々を促した(9節)。すると、多くの人々が「溢れるまで」献金をするようになり(10節)、神殿修復プロジェクトは大成功を収めた。

 このように、ヨアシュ王は、信仰に燃える、アイディアと行動力溢れる王だった。ところが、それは「祭司ヨヤダの生きている間」に限られていたと聖書は記している。というのも、ヨヤダの死後、ヨアシュ王は、自分に「ひれ伏」「高官たち」の勧めに従って、「主の神殿を捨て」「アシェラと偶像に仕え」るようになってしまった(18節)。その上、彼は、預言者が次々と遣わされ」「戒められても耳を貸さなかった」ばかりか(19節)、「祭司ヨヤダの子ゼカルヤ」の警告を退けて彼を殺害した(20~21節)。

 結果はまさに悲惨であった。まもなくユダ王国は、「アラムの軍隊」の攻撃を受け(23節)、「重傷を負」ったヨアシュ王は、「家臣たち」によって「寝床で殺」されてしまった。しかも、その亡骸は「王の墓に葬られなかった」(25節)。

 最初の信仰は一体どうなってしまったのか。それは、祭司ヨヤダを前にしての演技に過ぎなかったのか。決してそのようなことはないだろう。ヨアシュは確かに主への信仰に燃えていた。しかし、それは自立した信仰とは言えないものだったのだろう。ヨヤダがいてもいなくても、周りの人間が何を言っても言わなくても、どこまでも主に従い続ける〈覚悟〉が彼の中にはなかった。

「自分も昔は信仰に燃えていた時期があったなぁ」という方がいるかも知れない。しかし、信仰は本来、若くても年老いても、いつも燃えているものではないだろうか。

「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマの信徒への手紙12章11~12節)。

祈り

 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの憐れみの中に置いて下さり、御言葉を通して教え、導いて下さることを心から感謝致します。

 主よ、幼い頃から祖母に命を狙われ、人を恐れ、人の目を気にしないでは生きることが出来なかったヨアシュの弱さを思います。あなたは、そのような彼を導くために祭司ヨヤダとその妻ヨシェバをお用いになりました。しかし、ヨアシュの心は、あなたに向くことはなく、常に人の目を恐れて生きていました。

 主よ、私の目は何を見ているでしょうか。周りの人間が何を言っても言わなくても、どこまでもあなたを見上げ、あなたに従うことを自分の行動原理としているでしょうか。それとも人の目を見ているでしょうか。

 主よ、どうか憐れんで下さい。あなたを見上げ、あなたを求める者にあなたが下さる安心と揺るがぬ心を、この弱い者にもお与え下さい。あなたをいつも見上げることが出来ますように。

 どうか、弱さの中にある方の上に、あなたの憐れみを注いで下さい。恐れの中にあり、自分の心を治めることが出来ない時、あなたご自身が傍にいて支えて下さい。そして、恐れるその目をあなたの方に向け、安心と平和を得ることが出来るよう、導いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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