聖書日課 歴代誌下26章(新共同訳 旧約pp.704-705)
最初は良かったのに…。このところ、ユダの王は、〈前半の信仰〉と〈後半の堕落〉というパターンが続いている。
王という地位がそうさせてしまうのだろうか。人間は物事が順調に運ぶ中で、いかに高ぶり易い者であるかが示されているようである。
「ウジヤは十六歳で王となり、五十二年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエコルヤといい、エルサレムの出身であった。彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」(3~5節)。
ウジヤ王と言えば、ユダ王国の中興の名君とも言われる人物である。若干「十六歳で王とな」った彼は(3節)、瞬く間に貿易港として重要だった「エイラトの町」を敵の手から奪回して「再建し」た(2節)。その後も、商業、農業、軍事のあらゆる面で目覚しい業績を上げ、「その名声は遠くにまで及んだ」(15節)。これらは全て、彼が「主の目にかなう正しいことをことごとく行った」ことによる祝福であった。聖書には「彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」と記されている(5節)。
「ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした」(16節)。
ウジヤは、政治的な力だけでなく、宗教的な権力をも得ようとしたのである。それはイスラエルの王として、あってはならない越権行為であった。「祭壇で香をた」くことは祭司の役割であり、それを侵すことは、祭司を立てた主なる神に対する反逆行為だった。かつて、サウル王もその罪の故に滅んでいった。いつの時代も誰にとっても、思い上がりは大きな落とし穴である。
ウジヤも、この罪のために「重い皮膚病」に罹った(19節)。その後彼は「死ぬ日までその重い皮膚病に悩まされ」、「隔離された家に住」むことになった。「主の神殿」には「近づくこと」さえ「禁じられた」(21節)。そして、その死後も、「重い皮膚病に冒されていたということで」、王家の墓に埋葬されず、「王の墓の近くの野に」「葬られた」(23節)。名君として名を馳せた王の、寂しい最期である。
「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」(ローマの信徒への手紙12章3節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの御前に許されていること、あなたの大きな愛と恵みによって御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、私はあなたから多くの恵みをいただきました。にもかかわらず、高慢になって、あなたを忘れてしまうことがありました。そして、蟻地獄のように困難な状況の中に自ら落ちて行きました。
しかし、あなたは、そのような私を憐れみ、御手を伸ばして引き上げ、御霊を注いで癒して下さいました。あなたの前にひれ伏す喜びを与えて下さったのはあなたです。
主よ、私の心の中に残る高慢を、どうか取り去って下さい。あなたは、二人きりの時、私の心を深く取り扱って下さいます。どうか、あなたとの時間を大切にすることが出来ますように。
今日も尊いあなたの子供達を、あなたが導き、あなたとの関係の中に導き入れ、保ち、祝福して下さい。どうか、その心を開き、御霊をもって満たして下さいますように。
困難や苦しみの中にあるお一人お一人を顧み、癒して下さい。あなたの御手を置いて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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