聖書日課 歴代誌上27章(新共同訳 旧約pp.665-666)
27章には軍務に就く人々の組織(1~24節)、王の農地や財産を管理する組織(25~31節)、王の参謀役について記されている(32~34節)。このようにして王国は組織化された。
〈組織〉という語彙は無機質で冷ややかな印象を受ける。しかし、聖書における〈組織〉は、各自が〈生きた体〉のように結び合わされ、組み合わされているものとして描かれている。
新約聖書では教会は「キリストの体」として表されている。「口」と「手」は全く異なる器官だが、互いを「必要」とし、協力し合っている。「足」と「手」も、「目」と「耳」も……枚挙に暇がない(コリントの信徒への手紙一12章12~27節)。
社会の様々な組織が、「体」をイメージして組み合わされるなら、命に溢れた組織になるだろう。しかし、多くの場合、「体」の各器官としてではなく、機械の部品のように組み合わされているため、命を失っている。教会はそのようであってはならない。
さて、ダビデは、王国を組織化するにあたり、「二十歳以下の者を人口に加えなかった」と記されている。
「ダビデは二十歳以下の者を人口に加えなかったが、それは主がイスラエルを空の星のように数多くすると約束されたからである」(23節)。
以前にも似たことがあった。ダビデが「イスラエルの人口を数え」ようとして、将軍ヨアブが窘めた(21章1~4節)。今回は、ダビデは「二十歳以下の者」を数えないとしたが、将軍「ヨアブはその数を数え始めたため」、主なる神の「御怒りがイスラエルに臨」んだ(24節)。
民を数えることには何かと問題が付きまとうようである。数えて良い時もあれば、悪い時もある。その違いは〈主なる神への信頼〉という点にありそうである。
前回は、自分が安心したいがために民の数を数えた。これだけの兵力があれば、イスラエルは安泰だと、安心したかったのである。また、それは自国の軍隊を誇りたいためでもあった。それを主なる神は怒られた。
しかし、今回は違う。秩序正しく組織するために民を数えた。数を誇ったり、数で安心を得るためではない。
私達は何を数えるだろうか。何のために数えるだろうか。例えば、金銭を聖別して主に献げるために数えるだろうか。それとも、富を信頼し、富を誇るために数えるだろうか。「空の星のように数多くする」と言われた主なる神の約束を信頼して数えるべきである。
「二十歳以下の者」、それは〈未来の領域〉である。主なる神だけがご存知の領域である。そこは、主なる神にお任せしよう。主なる神の約束を信頼し、人間的な計算で安心しようとはしてはならない。
私の数える数は現実である。それは「五つのパンと二匹の魚」という数かも知れない(マルコによる福音書6章41節)。しかし、それをどのように増やされるかは、主なる神の領域である。私達は、主なる神の領域にまで足を踏み入れてはならない。現実の数を数えたら、主なる神に信頼し、委ねよう。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス