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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記下24章

聖書日課 サムエル記下24章(新共同訳 旧約pp.523-524)

 いよいよサムエル記最後の章となった。一つの書の最後となれば、ハッピー・エンド、そうでなくても何らかの解決や示唆を与える内容で終わるのが普通かも知れない。ところが、サムエル記は、ダビデ王が陥った罪の物語を記すことで終わっている。少々不思議な感じがする。しかし、その内容はとても大切な教えを含むと共に、次の列王記との橋渡しの意味も持っている。

 ダビデが陥った罪とは、民の人口調査をしたことであった。或る日、ダビデ「王は直属の軍の司令官ヨアブに」イスラエルの人口調査をするように命じ(2節)、「九か月と二十日をかけて」調査が行われた(8節)。ところが、調査が終わって結果の報告を受けたダビデ王は、罪の呵責に苦しめられた。

「民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。『わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました』」(10節)。

 何故民の数を数えることが罪となったのだろうか。それは、ヨアブが「剣を取りうる戦士」の数を報告したことから分かるように(9節)、この調査がイスラエルの軍事力をはかるための調査であったことに原因があったようである。つまり、ダビデ王はこの時、主なる神ではなく目に見える兵の数に頼り、主なる神ではなく目に見える軍隊の力を誇るようになっていたのである。

 普通に考えれば、一国の王が軍事力をはかるのは、ごく当たり前のことかも知れない。しかし、イスラエルは主なる神によって選ばれ建てられた国である。頼るべき方は主なる神であり、誇るべき存在は主なる神ご自身である。もしそこからずれるなら、イスラエルは自らの存在の意義と根拠を失うことになる。そのため、イスラエルに疫病」「もたらされ」「民のうち七万人が死んだ」と記されている(15節)。何と大きな犠牲だろう。イスラエルの代表である王の罪は、イスラエル全体に悲しく厳しい影響を及ぼす結果になった。

 しかし、ダビデは自分の犯した罪を悔い改めた。そして、主の言葉に従って、エブス人アラウナの地所を買い(24節)、「そこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。すると、「主はこの国のために祈りにこたえられ、イスラエルに下った疫病はやんだ」(25節)。

 実は、その地所こそ、後にソロモン王が神殿を建てる場所である。ダビデの罪は、イスラエルに大きな災いと悲しみをもたらした。しかし、主はそこをご自分の住まわれる所とし、主なる神の栄光と祝福の場所とされた。まさしく、エレミヤが預言した通りである。

「わたしは彼らの嘆きを喜びに変え/彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる」(エレミヤ書31章13節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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