聖書日課 マルコによる福音書1章16~34節(新共同訳 新約pp.61-62)
要約
シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは、「ガリラヤ湖のほとり」でイエス・キリストの召しを受けた。彼らは「すぐに網を捨てて」、イエス・キリストに「従った」。イエス・キリストは「カファルナウム」の「会堂」で御言葉を教え、町々を回り、「いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし」、「多くの悪霊を追い出」された。
(1) 弟子の道(16~20節)
イエス・キリストが神の国の福音を証ししながら最初にされたのは、弟子達を召して養育されたことである。イエス・キリストの弟子となるためには、神の国の永遠なる宝のために、この世の朽ち果てるものを捨てなければならない。〈この世か、神の国か〉の選択が、弟子の道の出発点であり、分かれ道である。シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは「漁師」だった。彼らは「人間をとる漁師にしよう」というイエス・キリストの言葉を聞いて、全財産と言える「舟」、「網」、家族までも捨て置いてイエス・キリストに従った。今日もイエス・キリストに従おうとする人には、主の故に手放す決断を要求される。アブラハムが生まれ故郷と父の家を離れたように、これまで大切にし、誇らしく思っていたものを塵あくたのように思ったパウロのように、神の国の宝の大切さを知り、新しい選択をして主に従おう。
主の全き弟子となるために、捨てなければならないことは何ですか。捨てた時、主の方法で満たして下さるという信仰がありますか。
(2) 全き癒し(21~34節)
イエス・キリストはこの地に来られてサタンの力を滅ぼし、神の国を建てられた。イエス・キリストが「カファルナウム」の「会堂」で「教え」ておられた時、「汚れた霊に取りつかれた男」がいた。イエス・キリストがどのような方かを悪霊も知っていた。イエス・キリストは「黙れ。この人から出て行け」という一言で悪霊を追い出した(25節)。イエス・キリストの言葉には「権威」があり、人々を動かす力があった。また、イエス・キリストは「熱を出して寝ていた」ペトロの「しゅうとめ」を癒したが、彼女は病が癒されるとすぐに起き上がって「一同をもてなした」。悪しき心と弱さ、痛みと悲しみは、主なる神が創造された姿ではない。これはサタンが人間世界に植えつけた毒麦によって変形した姿である。イエス・キリストの御名が伝えられる所はどこでも悪霊の力は打ち倒され、病はなくなり、創造の原型が回復される。
イエス・キリストが行く所に癒しと回復があるように、私達が行く所ごとに恵みが溢れていますか。そのために何を求めるべきですか。
祈り
私の生活と家庭と働きの場で、主の癒しと回復を経験させて下さい。私が行く先々で、主の完全な癒しと回復の御業がありますように。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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