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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記下11章

聖書日課 サムエル記下11章(新共同訳 旧約pp.495-496)

 信仰の勇者、偉大なイスラエルの王ダビデにとって最大の問題、最大の汚点と言えば、やはり「ウリヤの妻」「バト・シェバ」との不倫であった(3節)。

 それは、連戦連勝の、向かうところ敵なしと言えるような状況の中で起こった。アンモン人との戦いに全軍が進軍しているという時に、ダビデ王は、一人エルサレムにとどまって」昼寝をしていた(1~2節)。

 それは、ほんのちょっとした気の緩みだったのかも知れない。「王宮の屋上」から、水浴中のバト・シェバを見かけたダビデは(2節)、彼女を王宮に「召し入れ」「床を共にし」て妊娠させてしまった(4~5節)。

 しかし、その後のダビデの対応は、それ以上に不適切で罪深いものだった。彼は、不倫の事実を何とか隠そうと、夫ウリヤを戦場から呼び寄せて家に帰らせようとした(6~8節)。しかし、ウリヤは自分の「家に帰らなかった」(9節)。そこで、ダビデは、遂に軍の司令官ヨアブに「書状をしたため」(14節)、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し」「戦死させよ」と命じた(15節)。

 一つの罪を隠そうとすることで、より大きな罪の深みにはまってしまうという典型がここに見られる。それもまた、ダビデの心の緩みから来る落とし穴だったのだろう。

「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」(26~27節)。

 どんな信仰の勇者であっても、またどんな偉大な王であっても、昨日までの信仰は今日の信仰の保証とはならない。信仰は、常に今大切である。一瞬一瞬が主との交わりであり、一日一日、主に信頼の心を向ける。信仰の生涯は、そのようにして全うされていく。

 勿論、失敗を犯すことはある。だからこそ、その都度その都度、主の御前に悔い改めて赦しをいただくことが大切である。信仰者の日々は、そういう悔い改めの連続と言っても過言ではない。

 主なる神は、謙る者に恵みを注ぎ、赦しを与え、大いなる祝福を下さる御方である。主の御前に謙る時、祝福の歩みは必ず回復される。事実、このダビデ王の卑劣な罪でさえも、彼が悔い改めた時、主なる神はお赦しになった。だから、もし罪を犯してしまったなら、主の御前に謙り、悔い改めて赦しをいただこう。主なる神は、きっと大きな恵みを注いで下さるに違いない。

「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪の増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ローマの信徒への手紙5章20節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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