人間の愚かさは〈今〉しか見ないことである。勿論、〈今〉や〈現実〉は重要である。現実を無視して、突拍子もないことをやることが信仰深いのではない。
とはいえ、信仰は、時に現実離れと思える世界である。主なる神を信じない人は、現実を無視していると言うだろう。「人には出来ないことも、主なる神には出来る」と主なる神を信頼することは、現実からの逃避であるとか、現実から飛躍していると言われたりする。
しかし、この飛躍は決して現実離れした飛躍ではない。根拠のある飛躍である。信仰による根拠、それは今までの歩みを振り返る中で見出すことが出来る。
モーセはイスラエルの人々に、過去の恵みを振り返るよう教えている。荒れ野での40年間を振り返ってみよ。主なる神が共におられたではないか。ひもじい時も、困難な時もあったが、主なる神は私達の必要を満たして下さったではないかと。
「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった」(7節)。
いや、あれは自分が一生懸命働いたからだと思うだろうか。自分の努力が良い結果をもたらしたと考えるだろうか。
しかし、冷静に振り返ってみよう。私達が一生懸命働くことの出来た健康は主が与えて下さったものである。私達の努力は、主が支えて下さったものである。そこに至るまで、私達を助けてくれた人々も、主が出会わせて下さった人達である。
主なる神は、「万事が益となるように共に働」いて下さり(ローマの信徒への手紙8章28節)、最善以下のことはなさらなかった。そのような過去の恵みを振り返るところから、次の大胆な飛躍が生まれる。信仰による飛躍である。
イスラエルの民は、これからヨルダン川を渡ってカナンの地を攻め取ろうとしていた。これこそ大胆な飛躍、信仰による飛躍である。
私達の人生においても、このような〈川を渡る〉という大きな決断、大胆な飛躍をすべき時が来る。そのような時に思い起こしていただきたい。40年の荒れ野の生活において、主なる神が共におられ、何も乏しいことはなかったことを。
西原新生バプテスト教会
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