聖書日課 レビ記10章(新共同訳 旧約pp.175-177)
恐ろしい事件が起こった。「アロンの子のナダブとアビフ」が、幕屋で「主の御前から」出た「火」によって焼死した。それは、彼らが主の「規定に反した炭火」を「入れ、その上に香をたいて主の御前にささげた」ことへの裁きとして起こった出来事だった。
「アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ」(1~2節)。
これがいつ頃のことかは定かではない。祭司による祭儀が始まってすぐということであれば、彼らはまだ仕事に不慣れだったということも考えられる。しかし、9節に「ぶどう酒や強い酒を飲むな」という主の戒めがあることを考えると、〈不慣れ〉よりも、寧ろ〈慣れ〉が生じて、主への畏れを失っていたのではないかと思われる。
〈慣れ〉は、或る意味では必要なことである。しかし、それが却って問題を引き起こす可能性があることも忘れてはならない。私達の信仰生活を考えてみたい。私達は、讃美歌を覚え、祈り方を知り、聖書の内容もよく知るようになっているかも知れない。勿論、それは良いことである。しかし、そこに喜びや感謝、深い信頼、謙りの心が養われているだろうか。もしそうでないとしたら、私達はいつの間にか高慢不遜になってしまっている可能性がある。
祭司が「なすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通して主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えること」である(10~11節)。ところが、教える者が反し、清くあるべき者が汚れ、聖別されて主なる神のものとされた者が俗世間に染まってしまった。そこにこの出来事の問題があったのではないか。〈慣れっこ〉になることの恐さはここにある。
私達も自分自身の信仰のあり方を点検し、いつも新鮮な喜びと深い信頼と謙遜の心をもって歩み続ける者でありたい。
西原新生バプテスト教会
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