ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編87編

聖書日課 詩編87編(新共同訳 旧約p.924)

 第87編は「神の都」「シオン」への賛歌である。とても短い詩だが、その内容は何と大きなスケールだろう!

「【コラの子の詩。賛歌。歌。】聖なる山に基を置き/主がヤコブのすべての住まいにまさって愛される/シオンの城門よ。神の都よ/あなたの栄光について人々は語る。[セラ」(1~3節)。

「主は諸国の民を数え、書き記される/この都で生まれた者、と。[セラ 歌う者も踊る者も共に言う/『わたしの源はすべてあなたの中にある』と」(6~7節)。

 スケールの大きさの1つは、この詩が全世界を包み込んでいることである。主が「諸国の民を数え」「この都で生まれた者」「書き記される」と言われているように、神の都シオンが全世界の首都となることが歌われている。何故なら、「主がヤコブのすべての住まいにまさって愛される」からである。

 しかし、この詩のスケールの大きさは、ただそれだけではない。第87編には、地理的な大きさに加え、〈懐の広さ〉と言うことが出来る、大きな主なる神の愛が表されている。それは、主なる神御自身の言葉としてこう記されていることから分かる。

「『わたしはラハブとバビロンの名を/わたしを知る者の名と共に挙げよう。見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをも/この都で生まれた、と書こう。シオンについて、人々は言うであろう/この人もかの人もこの都で生まれた、と。』いと高き神御自身がこれを固く定められる」(4~5節)。

「ラハブ」とはエジプトのことである。「バビロン」とは、勿論、イスラエルを滅ぼし神殿を破壊したあのバビロンである。更に、「ペリシテ」ティルス「クシュ」も、皆異邦人の国で、イスラエルの敵であった。ところが、そのような国々が、そのような人々が、全て「この都で生まれた」者と言われる時がやがてやって来るというのである。

 敵をも包み込む愛、赦す愛。そして、生かす愛。それが主なる神の愛である。そして、そのために、愛である神は独り子イエス・キリストを十字架にかけて下さった。その愛に包まれ生かされて、私達も宣言しよう。「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。

西原新生バプテスト教会
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聖書日課 詩編86編

聖書日課 詩編86編(新共同訳 旧約pp.923-924)

 第86編は、表題にもあるように、ダビデ「祈り」の詩である。この詩の中で、ダビデは、「主よ」という主なる神への呼びかけを11回も繰り返している。その他にも「神よ」と呼びかけるほど、心の底から主なる神を慕い求め、主なる神に熱い信頼を向けて祈っている。

「【祈り。ダビデの詩。】主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは貧しく、身を屈めています。わたしの魂をお守りください/わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください/あなたはわたしの神/わたしはあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください/絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです。主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に/豊かな慈しみをお与えになります。主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。苦難の襲うときわたしが呼び求めれば/あなたは必ず答えてくださるでしょう。主よ、あなたのような神は神々のうちになく/あなたの御業に並ぶものはありません」(1~8節)。

 その波乱万丈の人生の中で、常にダビデを支え、その人生に祝福と勝利をもたらした秘訣は、彼が何よりも誰よりも、主なる神に信頼し、主なる神を慕い求めたことにある。それは、このダビデの祈りからも分かる。

「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしにお与えください」(11節)。

「一筋の心」、主なる神の御旨と一つになり、主なる神以外の何物にも心を向けず、ただ主なる神だけに集中して祈る、そのような人生を歩みたいとダビデは願い求めた。

 私達の人生を有意義で充実したものとするために、最も大切で、一番必要なことは、何を差し置いても主なる神に信頼し、主を慕い求めて祈るという一事に励むことではないか。私達もダビデのように「一筋の心をわたしにお与えください」と祈り求める者でありたい。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの憐れみの中にこの僕を置き、御前に祈りを献げさせて下さることを心から感謝致します。

 主よ、心の分裂したこの僕をお赦し下さい。主人であるあなたの御思いよりも、自分のことでこの心が満たされています。主よ、この分裂した心を赦し、「一筋の心をわたしにお与えください」。あなたを畏れて生きることが出来ますように。

 あなたの御心、あなたの御思いにこの心を向け、あなたに結び付いて今日を生きることが出来ますように。

 今日もあなたの子供達の上に、あなたの溢れる恵みと慈しみを注いで下さい。その歩む道を祝福し、守り、握って下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 詩編85編

聖書日課 詩編85編(新共同訳 旧約pp.922-923)

 第85編は、イスラエル「罪を赦」されて、バビロン捕囚から解放され、約束の地に帰って来ることが明らかに示された時の詩である。

「【指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。】主よ、あなたは御自分の地をお望みになり/ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。御自分の民の罪を赦し/彼らの咎をすべて覆ってくださいました。[セラ 怒りをことごとく取り去り/激しい憤りを静められました。わたしたちの救いの神よ/わたしたちのもとにお帰りください。わたしたちのための苦悩を静めてください」(1~5節)。

 イスラエルは、長い苦しみを乗り越えて、今新たな一歩を踏み出そうとしていた。その時この詩の作者が求めたものは何か。それは経済的繁栄でも軍事力でもなかった。彼はただ主を求めた。彼らの救いの神が自分達のもとに帰って来ることを願い求めた。

 その時、彼は主の声を聞いた。

「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし/まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます」(9~12節)。

 主がお帰りになる時、そこに真の「平和」が訪れる。「慈しみとまことが出会い、正義と平和が口づけ」する奇跡が、主なる神によって実現するのである。経済的繁栄や軍事力によっては決して得ることの出来ない真の平和、それは私達のために十字架にかかられた主イエス・キリストによってのみ与えられる。その主を、あなたはもうあなたの人生に迎え入れられただろうか。もしまだならば、是非あなたの人生に迎え入れていただきたい。

「主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします」(13節)。

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祈祷会奨励 2023年5月3日

祈祷会奨励 2023年5月3日
詩編90編1~17節(新共同訳 旧約pp.929-930)
「永遠なる神、限りある人」
讃美歌: 280(わが身ののぞみは ただ主にかかれり)
    524(イエス君、イエス君、みすくいに)
    第二編195(キリストにはかえられません)

(1) 移ろう草のような人(1〜10節)

 第89編がダビデ王朝の滅亡を扱っているのに対し、第90編は主なる神ご自身が「代々にわたしたちの宿るところ」であると歌っている(1節)。目に見えるこの世の国には終わりがあるが、主なる神は「世々とこしえに」存在される方である(2節)。主なる神には「千年」「夜の一時」のようである(4節)。
 全ての人は、「朝で来れば花を咲かせ」「夕べにはしおれ」「草のように」短命な存在である(5~6節)。また、全ての人は「罪」と死という深刻な問題を抱えて生きている(8節)。「人生の年月は七十年程」で、「健やか」であっても「八十年」である。人の生涯を一言で表現するならば「労苦と災い」であると言える(10節)。「瞬く間に」過ぎ去ってしまうのが人生である。
 短く限りのある人生を生きている聖徒は、永遠なる神の御前にいつも謙遜であるべきである。早く過ぎ去ってしまう歳月を、主のために惜しみなく用いよう。

分かち合い
 この世の事柄に余りに多くの関心を持っていませんか。短く限りある歳月の中で、主のために聖別した時間はどれだけありますか。

(2) 知恵ある心(11〜17節)

 モーセは、「わたしたちの罪」を主の「御前に」隠すことは出来ないと言っている(8節)。だから、人の全ての日は、主の「御怒り」の中で過ぎ去る(11節)。罪と死という人の重大な問題の前に、真の神の民は歳月を惜しんで生きていく。全ての問題と未来を主の御前に委ねて生きていく。
 聖徒が満足を得るべき所は、ただ主の御許だけである。主の「慈しみ」が聖徒の人生を「力づけ」(13節)、「喜び」をもたらして下さる(14~15節)。限りある人が望みを置くべき所は、主なる神が行われる「御業」、即ち主なる神の統治である。「苦難」の中にいる民が願う唯一の望みは、主なる神の統治である。主なる神が働かれて立てられるものだけが堅固で揺るがない岩のように「確かなもの」だからである(17節)。いつも主の「慈しみ」を祈り求め、主なる神に全ての望みを置こう。

分かち合い
 どうすれば限りある人生を価値のある人生に出来るでしょうか。人生の残りの日々を充実したものにするための計画を考えてみましょう。

祈り
 人生の統治者である主よ、草のように限りある私達の人生を憐れんで下さい。今日も私達を導いて下さり、時間を主のために用いられるように知恵を与えて下さい。

聖書日課 詩編84編

聖書日課 詩編84編(新共同訳 旧約pp.921-922)

 第84編は、都を目指しての巡礼歌の一つと言われる詩である。都には、主なる神が住まう神殿がある。その神殿を、いや、そこに住まう主なる神を「慕って」「神にまみえる」喜びを歌った美しい詩である。

「万軍の主よ、あなたのいますところは/どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り/つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。いかに幸いなことでしょう/あなたの家に住むことができるなら/まして、あなたを賛美することができるなら。[セラ いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。彼らはいよいよ力を増して進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう」(2~8節)。

 聖書の教える信仰の本質は、教理を守ったり、儀式を行ったり、主なる神に対して何らかの義務を果たすことにあるのではない。勿論、それらは信仰者に相応しいことである。しかし、信仰の本質は、「魂」「絶え入りそう」なほどに主なる神を愛し、「身も心も叫び」出すほどに主なる神を慕い求めることにある。

 主なる神の家に住まい、主なる神と共に生きること、それが信仰者にとっての幸福であり、信仰者の人生である。そこから生きる「勇気」が生まれる。たとえ「嘆きの谷を通るときも」、主が共にいて下されば、そこは命の「泉」の湧く所となって、「雨が降り」、主の「祝福で覆」われる。

 その意味で、主なる神を賛美し、主なる神と交わる礼拝は、本来義務というよりも喜びであり、しなくてはならないものというよりも、寧ろ献げたくてしようのないものである。そのような礼拝の喜びをもって日々を過ごしていきたいものである。

「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます」(11節)。

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聖書日課 詩編83編

聖書日課 詩編83編(新共同訳 旧約pp.920-921)

 第83編は、神の民が「敵」に取り囲まれる中、「沈黙」を破って敵を滅ぼして下さることを主なる神に訴える祈りの詩である。

「神よ、沈黙しないでください。黙していないでください。静まっていないでください。御覧ください、敵が騒ぎ立っています。あなたを憎む者は頭を上げています。あなたの民に対して巧みな謀をめぐらし/あなたの秘蔵の民に対して共謀しています。彼らは言います/『あの民を国々の間から断とう。イスラエルの名が/再び思い起こされることのないように』と」(2~5節)。

 信仰の生涯には戦いがある。神の民を滅ぼそうとする「敵」が存在することを聖書は教えている。旧約時代における「敵」は、偶像に仕える周辺諸国であった。新約聖書においては、その背後に働くサタンと悪霊の存在がより明確に指摘されている。

 勿論それは、私達を怯えさせるためではない。主なる神に信頼する者が勝利の人生を送るために、敵の存在を明らかに示し、勝利の秘訣を教えている。では勝利の秘訣とは何か? パウロはこう教えている。

「だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソの信徒への手紙6章13~18節)。

 私達に勝利をもたらす「神の武具」とは、「信仰」「神の言葉」「祈り」である。そして、主なる神が与えて下さったこれらの武具を決して錆びつかせないこと、それが私達にとっての日頃の備えである。今日、あなたの備えは十分だろうか。

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聖書日課 詩編82編

聖書日課 詩編82編(新共同訳 旧約p.920)

 第82編は、地上の支配者や指導者に対して、真の裁判官であられる主なる神が「裁きを行われる」という内容の詩である。

「【賛歌。アサフの詩。】神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる。『いつまであなたたちは不正に裁き/神に逆らう者の味方をするのか。[セラ 弱者や孤児のために裁きを行い/苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。弱い人、貧しい人を救い/神に逆らう者の手から助け出せ。』彼らは知ろうとせず、理解せず/闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。わたしは言った/『あなたたちは神々なのか/皆、いと高き方の子らなのか』と。しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう」(1~8節)。

 この地上における全ての権威は、主なる神によって授けられたものであると聖書は主張する(ローマの信徒への手紙13章1節)。それ故、人の上に立つ者は、自分が「神によって立てられたもの」であることを自覚し、主なる神の権威に服することによって人々を治めることを求められている。

 一方、「人は皆、上に立つ権威に従うべき」であり、「権威に逆らう者は、神の定めに背くこと」になるとも教えられている(ローマの信徒への手紙13章2節)。

 それでは、主なる神によって立てられた指導者が、主なる神の掟に反して勝手気ままを行うような時にはどうなるのか。その時には、主なる神が地上の権威者を裁くとこの詩は語る。主なる神は必ず支配者の「不正を裁き」、彼らを「没落」させる。

 結局のところ、この地上においては、支配する者も支配される者も皆同様に、主なる神に仕えるべき者である。それ故、全ての人にとって最も重要な人生の教訓は、天地の造り主であり、真の支配者であり、裁き主であられる主なる神の権威の下に謙り、主と共に生きることである。

「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて」(コヘレトの言葉12章13節)。

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聖書日課 詩編81編

聖書日課 詩編81編(新共同訳 旧約p.919)

 第81編は、新年の祭りと仮庵の祭りに関連しているものと思われる。

「わたしたちの力の神に向かって喜び歌い/ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ。ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし/琴と竪琴を美しく奏でよ。角笛を吹き鳴らせ/新月、満月、わたしたちの祭りの日に。これはイスラエルに対する掟/ヤコブの神が命じられたこと。エジプトの地を攻められたとき/ヨセフに授けられた定め。わたしは思いがけない言葉を聞くことになった」(2~6節)。

 仮庵の祭りは喜びの祭りであり、律法が朗読される祭りでもあった。その律法の教えは、次のようなものである。

「わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(9~11節)。

 ところが、神の民は、現実の問題の中で「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って主を疑った(出エジプト記17章7節)。それがメリバでの出来事である。

「わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い/雷鳴に隠れてあなたに答え/メリバの水のほとりであなたを試した。[セラ」(8節)。

 ここで注目したいのは、主なる神は、「苦難の中から呼び求める」者を救う方であると共に、「雷鳴に隠れて…答え、メリバの水のほとりで…試」される方でもあるということである。

 主なる神を信じて生きる人生にも、様々な試練や問題が起こる。その時、私達はどこまでも主なる神への信仰を貫くことが出来るか、イスラエルの民のように主を疑うことはないか問われている。

「雷鳴に隠れて…答え」て下さる主なる神は、苦しみや試練の中でも、確かに私達と共におられる。問題は、私達がそこに主なる神を見る霊の目を持ち、主なる神の御声を聞く信仰の耳を持つことが出来るかどうかである。

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聖書日課 詩編80編

聖書日課 詩編80編(新共同訳 旧約pp.917-919)

「神よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください」。この言葉が、短い詩の中に3度も繰り返されている(4節、8節、20節)。第80編は、イスラエルの滅亡を嘆き悲しみ、神の民の回復を願い求める祈りの詩である。

「【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。アサフの詩。賛歌。】イスラエルを養う方/ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ/御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください/エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい/わたしたちを救うために来てください。神よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください」(1~4節)。

 今は「その石垣も破られ」(13節)、「森の猪がこれを荒らし/野の獣が食い荒らしてい」るような状況の中で(14節)、この詩の作者は、かつて主なる神が、神の民イスラエルをエジプトにおける苦しみから救い出し、約束の地で繁栄させて下さった恵みの御業を回顧する。

「あなたはぶどうの木をエジプトから移し/多くの民を追い出して、これを植えられました。そのために場所を整え、根付かせ/この木は地に広がりました。その陰は山々を覆い/枝は神々しい杉をも覆いました。あなたは大枝を海にまで/若枝を大河にまで届かせられました」(9~12節)。

 苦難の中で、主なる神の恵みを覚えることは大切である。主なる神がどんなに恵み深く、慈しみ深い御方であるかを決して忘れないためである。確かに主なる神は怒られる。罪に対して、主なる神は激しい怒りを発せられる。しかし、それは決して主なる神の望みではない。主なる神の御心は本来、恵みであり慈しみである。

 それを決して忘れないために、いつもはっきり覚えているために、御言葉の中に記されている主なる神の沢山の恵みを発見することが必要なのではないか。そうして確認した主なる神の恵みの上に立ち、私達も、主なる神に向かってこう祈ろう。

「わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り/御顔の光を輝かせ/わたしたちをお救いください」(19~20節)。

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聖書日課 詩編79編

聖書日課 詩編79編(新共同訳 旧約pp.916-917)

 神の民イスラエルは、主なる神を知ろうとしない「異国の民」に攻め込まれ、敗北し、国を滅ぼされた。それによって、彼らは「近隣の民から辱められ」「嘲られ、そしられ」た。

「【賛歌。アサフの詩。】神よ、異国の民があなたの嗣業を襲い/あなたの聖なる神殿を汚し/エルサレムを瓦礫の山としました。あなたの僕らの死体を空の鳥の餌とし/あなたの慈しみに生きた人々の肉を/地の獣らの餌としました。彼らは、エルサレムの周囲に/この人々の血を水のように流します。葬る者もありません。わたしたちは近隣の民に辱められ/周囲の民に嘲られ、そしられています」(1~4節)。

 異国の民は、「彼らの神はどこにいる」と言って(10節)、神の民イスラエルと主なる神を蔑み、嘲った。しかし、それはイスラエルが主なる神に逆らい、罪を犯し続けた結果であった。つまり、イスラエルにとっては自業自得の顛末であり、まさしく主なる神がおられるからこその出来事だった。

 この苦しみの中で、この詩の作者は主なる神に2つのことを祈り願った。一つは、神の民と主なる神を嘲り、そしる「異国の民」への裁きである。

「御怒りを注いでください/あなたを知ろうとしない異国の民の上に/あなたの御名を呼び求めない国々の上に」(6節)。

 これは単なる個人的な報復の願いではない。主なる神を愛する故に、これ以上主なる神に対する冒瀆を我慢出来ないという激しく熱い信仰の願いであり、祈りであった。

 そして、もう一つは次のような願いである。

「どうか、わたしたちの昔の悪に御心を留めず/御憐れみを速やかに差し向けてください。わたしたちは弱り果てました。わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて/あなたの御名の栄光を輝かせてください。御名のために、わたしたちを救い出し/わたしたちの罪をお赦しください」(8~9節)。

 これは主なる神に罪の赦しを願う祈りである。興味深いのは、赦すことによって「御名の栄光を輝かせてください」「御名のために、罪をお赦しください」と祈られていることである。イスラエルへの愛と選びの約束は、人間の裏切りと罪にもかかわらず、決して変わることがない主なる神の誠実さと確かさの現れである。それ故、赦しは主なる神の「栄光」である。だから、作者は最後にこう祈っている。

「わたしたちはあなたの民/あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ/代々に、あなたの栄誉を語り伝えます」(13節)。

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