ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

祈祷会奨励 2023年5月3日

祈祷会奨励 2023年5月3日
詩編90編1~17節(新共同訳 旧約pp.929-930)
「永遠なる神、限りある人」
讃美歌: 280(わが身ののぞみは ただ主にかかれり)
    524(イエス君、イエス君、みすくいに)
    第二編195(キリストにはかえられません)

(1) 移ろう草のような人(1〜10節)

 第89編がダビデ王朝の滅亡を扱っているのに対し、第90編は主なる神ご自身が「代々にわたしたちの宿るところ」であると歌っている(1節)。目に見えるこの世の国には終わりがあるが、主なる神は「世々とこしえに」存在される方である(2節)。主なる神には「千年」「夜の一時」のようである(4節)。
 全ての人は、「朝で来れば花を咲かせ」「夕べにはしおれ」「草のように」短命な存在である(5~6節)。また、全ての人は「罪」と死という深刻な問題を抱えて生きている(8節)。「人生の年月は七十年程」で、「健やか」であっても「八十年」である。人の生涯を一言で表現するならば「労苦と災い」であると言える(10節)。「瞬く間に」過ぎ去ってしまうのが人生である。
 短く限りのある人生を生きている聖徒は、永遠なる神の御前にいつも謙遜であるべきである。早く過ぎ去ってしまう歳月を、主のために惜しみなく用いよう。

分かち合い
 この世の事柄に余りに多くの関心を持っていませんか。短く限りある歳月の中で、主のために聖別した時間はどれだけありますか。

(2) 知恵ある心(11〜17節)

 モーセは、「わたしたちの罪」を主の「御前に」隠すことは出来ないと言っている(8節)。だから、人の全ての日は、主の「御怒り」の中で過ぎ去る(11節)。罪と死という人の重大な問題の前に、真の神の民は歳月を惜しんで生きていく。全ての問題と未来を主の御前に委ねて生きていく。
 聖徒が満足を得るべき所は、ただ主の御許だけである。主の「慈しみ」が聖徒の人生を「力づけ」(13節)、「喜び」をもたらして下さる(14~15節)。限りある人が望みを置くべき所は、主なる神が行われる「御業」、即ち主なる神の統治である。「苦難」の中にいる民が願う唯一の望みは、主なる神の統治である。主なる神が働かれて立てられるものだけが堅固で揺るがない岩のように「確かなもの」だからである(17節)。いつも主の「慈しみ」を祈り求め、主なる神に全ての望みを置こう。

分かち合い
 どうすれば限りある人生を価値のある人生に出来るでしょうか。人生の残りの日々を充実したものにするための計画を考えてみましょう。

祈り
 人生の統治者である主よ、草のように限りある私達の人生を憐れんで下さい。今日も私達を導いて下さり、時間を主のために用いられるように知恵を与えて下さい。