聖書日課 ミカ書2章(新共同訳 旧約pp.1450-1451)
1~5節では、権力と富を握っている人々の罪が指摘され、彼らへの裁きが宣告されている。
神の民イスラエルは、その存在を通して、主なる神の慈しみと栄光を現すために選ばれた。ところが、彼らは、権力と金の力によって人々の「畑を奪い、家々を取り上げ」ていった(2節)。しかも、夜中に「寝床の上で悪をたくらみ」、「夜明けとともに」「それを行う」と言われているように(1節)、彼らは念入りに「悪事を謀」った。それ故、主なる神はこう言われた。
「見よ、わたしもこの輩に災いをたくらむ。お前たちは自分の首をそこから放しえず/もはや頭を高く上げて歩くことはできない。これはまさに災いのときである」(3節)。
主なる神が罪をそのまま放っておかれることは決してない。それは神の民であっても同じである。いや、選ばれた民であるからこそ、なお一層厳しく罪を問われる。
しかし、2章は、主なる神の厳しい裁きだけで終わってはいない。
「ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め/イスラエルの残りの者を呼び寄せる。わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする。彼らは人々と共にざわめく。打ち破る者が、彼らに先立って上ると/他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み/主がその先頭に立たれる」(12~13節)。
「残りの者」――それは、周りがどんなに罪と悪に染まろうと、決して主なる神から離れず、信仰の道をまっすぐに歩み続けた人々であり、また、裁きを通して自分の犯した罪を悟り、悔い改めて主なる神に立ち帰った人々のことである。主なる神は、このような「残りの者」をイスラエルに起こし、彼らを「呼び寄せ」て復興させて下さる。しかも、主ご自身が「その先頭に立たれる」と記されている。
確かに主なる神は罪に対して厳しい裁きを下される。しかし、イスラエルに対する愛と約束への誠実の故に、やがて必ず神の民を復興させて下さる。この主なる神を、その約束を、どこまでも堅く信じて歩み続けよう。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に握り、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、あなたは「残りの者を呼び寄せる」と言われました。自分を見ると、自分がそれに含まれているのか、不安と恐れを覚えます。
主よ、自分で自分を救えない、この哀れな私を憐れんで下さい。
どうか、不安を覚える私達一人一人に御声をかけ、あなたの傍に置いて下さいますよう、あなたの御手に握られている安心を与えて下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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