ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

祈り エフェソの信徒への手紙3章

祈り エフェソの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.354-355)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。使徒パウロと共に、私達もあなたの「前にひざまずいて祈ります」(14節)。
 主よ、あなたは私達の心の全てをご存知であられます。私達の罪を赦し、私達を造りかえて下さる、あなたの恵みを受け入れる者として下さい。私達の「心の内に」御子イエス・キリスト「住まわ」れ、私達の中の「内なる人を強めて」下さい(16~17節)。あなたご自身が私達に「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか」を教えて下さり(18節)、「人の知識をはるかに超える」あなたの大きな愛と恵みを知ることが出来ますように。そして、あなたの恵みによって生かされていることを大いに喜ぶ者として下さい。私達がやがてあなたの「満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされ」(19節)、あなたの栄光を映す者となっていきますように。
 天のお父様、あなたは、イエス・キリストを信じて救われた者を養い育て、この世に福音を告げ知らせ、イエス・キリストを証しするために、私達の教会をお建てになりました。私達の教会が、その務めを果たし、その使命を全うすることが出来ますよう、私達の教会を〈祈る教会〉として下さい。私達が他の兄弟姉妹と共に、そして何よりも主イエス・キリストと共に祈る者となれますように。
 その一方で、新型コロナウィルス感染症の問題をはじめ、様々な事情で今主日礼拝や諸集会に集うことの出来ない兄弟姉妹がいらっしゃいます。その兄弟姉妹のことを祈りに覚えます。そのお一人お一人をあなたが訪れて下さり、その兄弟姉妹が内に住んで下さるイエス・キリストとの深い交わりを経験することが出来ますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙3章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.354-355)

 パウロは、3章の前半で、自分が異邦人の使徒として召された次第を語っている。その中で、主なる神の「秘められた計画」(3節)が今や明らかにされ、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて」ユダヤ人と一つの民にされ、「約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者とな」ったと書いている(6節)。

 パウロは、「異邦人のために」召され、彼らに対する宣教の働きのために捕えられ、「囚人」とされていた(1節)。それは、パウロ本人は勿論のこと、教会に連なる兄弟姉妹にとっても、大きな痛みであり、恐れと不安をもたらすことであったに違いない。それ故、パウロは兄弟姉妹にこう書き送った。

「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」(12~13節)。

「主キリストに結ばれて」いること、キリスト者の信仰の原点はここにある。イエス・キリストにしっかり結ばれているなら、キリスト者は、どのような困難、誘惑、迫害、試練の中にあっても、平安と希望を失わずに、力強く歩み続けていくことが出来る

 パウロは、「この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました」(8節)と述べている。これはパウロの実感であり、彼の謙遜の現れでもある。パウロは、自分自身に拠り頼むのではなく、ただイエス・キリストにのみ拠り頼んで生きていた。そこに、パウロの強さの秘訣があった。それ故、パウロは次のように祈った。

「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」(16~19節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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祈り エフェソの信徒への手紙2章

祈り エフェソの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.353-354)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったことを感謝致します。
 天のお父様、あなたは、聖書の中に、あなたから離れ、罪の中にあった過去の私達の姿と、イエス・キリストにある今の私達の姿を示して下さいました。それによって、私達を、イエス・キリストによって与えられている、あなたとの新しい関係に生きるように招いて下さっています。あなたの招きに応え、あなたの恵みと憐れみの豊かさをほめたたえる私達として下さい。
 天のお父様、あなたは私達を「前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られ」ました(10節)。あなたに造られた者として、あなたの目的に適った生活を送ることが出来ますように。そして、そのことによってあなたのご栄光を、あなたの愛を表すことが出来るように導いて下さい。私達は、自分の力では、決してあなたのために生きることは出来ません。私達が自ら為す〈行い〉は、あなたに喜んでいただけるものではありません。あなたが備えて下さっている「善い業」を信仰によって見出すことが出来るよう、助けて下さい。あなたが与えて下さったイエス・キリストの命によって生きる者として下さい。
 天のお父様、あなたは私達を、イエス・キリスト「かなめ石」とする「主における聖なる神殿」の一部として下さいました。「かなめ石」であるイエス・キリスト「組み合わされて」、私達の教会を、私達一人一人を「成長」させて下さい(20~21節)。私達の教会があなたの「霊の働きによって神の住まいとなる」ことによって(22節)、ここにあなたがおられることを、私達の隣人が知ることが出来ますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙2章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.353-354)

 パウロは、本章の初めで、「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです」(1節)と言っている。ここでの死とは、肉体の死ではなく、霊的な死を指しており、命の源である主なる神との交わりの断絶を意味する。

 それだけではない。主なる神との交わりが断絶するということは、「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩」むことでもある(2節)。エフェソは、偶像の支配する町であった。そこで救われたキリスト者も、以前は偶像を拝み、偶像に支配される生活をしていた。それ故、パウロは次のように言った。

「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」(3節)。

 これが、聖書の言う死の意味であり、肉体の死は、その結果である。このような意味で、私達は皆、生まれながら死んだ者だった

 私達の肉体は生きているので、「死んでいた」と言われてもピンと来ないかも知れない。そして、そのために、救いや永遠の命がどんなに素晴らしく、どんなに価値あるものかもよく分かっていないということはないだろうか。その意味でも、私達は、聖書の言う死と滅びの意味を明確に理解し、受けとめることが大切である。そうして初めて、私達は、主なる神の恵みの大きさが分かる。

 主なる神は私達を憐れみ、愛して下さったので、霊的に死んでいた私達をイエス・キリストと共に甦らせ、イエス・キリストと共に天の栄光の御座に着く祝福までも与えて下さった

「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、──あなたがたの救われたのは恵みによるのです──キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになって慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです」(4~7節)。

 私達は恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって救われた。そして、この信仰も、ひとえに主なる神からの賜物である。主なる神は救いの全過程を司っておられるので、私達は救いに関して決して誇ることは出来ない。

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです」(8~9節)。

 

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祈り エフェソの信徒への手紙1章

祈り エフェソの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.352-353)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったことを感謝致します。
 天のお父様、私達はあなたの御子イエス・キリスト「血によって贖われ、罪を赦され」(7節)、あなたの子とされました。あなたの大きな愛、「霊的な祝福」(3節)、「輝かしい恵み」(6節)に、心から感謝致します。私達は、あなたの子とされることなしに、あなたを「父よ」と呼ぶことは出来ませんし、あなたを父とする神の家族の交わりに、本当の意味で加わることも出来ません。あなたの子とされることが、神の家族の交わりの出発点です。あなたの御子イエス・キリストを信じる信仰によって、神の子とされる方がどうか起こされますように。また、私達が、父であるあなたとの深い交わりの中へと導かれていきますよう、主にある兄弟姉妹と、家族としての交わりを深めていきますよう、心からお願い致します。
 天のお父様、御子イエス・キリストが十字架で死なれたのは、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」(10節)ためであるというあなたの御言葉に感謝致します。新型コロナウィルス感染症の流行により、分断され、孤立している方に、御子イエス・キリストの十字架の血潮を注いで下さい。私達一人一人に注いで下さい。
 私達のこの地上の命はやがて必ず失われていきます。しかし、あなたはその御手をもって私達を永遠に握って下さいます。「あらゆるもの」「頭であるキリストのもとに」集め(10節)、一つとして下さるあなたの御旨と御計画を信じ、あなたに全てを委ねて平安を得ることが出来ますよう、私達一人一人を支え、導いて下さい。
 天のお父様、今苦境に立たされ、悩み、希望を失いつつあるお一人お一人に、あなたが臨み、癒し、生かして下さいますように。また、苦しむ方の現実に私達一人一人の関心を向けさせて下さい。力を合わせて助け合う行動を通して、あなたの愛が世界に示されますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙1章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.352-353)

 エフェソの信徒への手紙は、教会について語られていると言われる。しかし、読んでみて気付くのは、「教会」よりも、「キリスト・イエス」「主イエス・キリスト」「キリスト」という言葉の方が遥かに多く記されていることである。1章の中だけでも、20回以上出てくる。しかし、それは当然のことである。教会とは、「キリストの体」であり、キリストの「満ちておられる」場だからである。

「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(22~23節)。

 とはいえ、イエス・キリストは、私達の目で見ることも、手で触れることも出来ない。見えるのは、教会の建物であり、そこに集まる人々である。それ故、イエス・キリストよりも人間や建物に意識が向かうことが多い。そのために、多くのキリスト者が躓いたり、不平不満に陥ったりしている。

 しかし、「見えるものに対する希望は希望ではありません」(ローマの信徒への手紙8章24節)とパウロも述べているように、キリスト者は見えないものに希望を置く信仰に生きる者であることを忘れてはならない。つまり、躓きや不平不満は、信仰の基盤の揺らぎから生じてくるものである。

 それ故、パウロはこう祈った。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」(17~19節)。

 私達は、御言葉と聖霊によって「心の目」が開かれ、主なる神をより「深く知ること」が何よりも大切である。そして、「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか」を悟り、確信することによって、揺るぎない信仰の基盤を築くことが出来る。

西原新生バプテスト教会
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祈り ガラテヤの信徒への手紙6章

祈り ガラテヤの信徒への手紙6章(新共同訳 新約pp.350-351)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったことを感謝致します。
 天のお父様、私達は今誰のために生きているでしょうか。イエス・キリストを主と信じると言いながら、僕として主人のために生きるのではなく、自分自身のためにイエス・キリストを信じてはいないでしょうか。
 私達はあなたの御子イエス・キリストによって新しい人とされました。私達のために代わりに死んで下さったイエス・キリストこそ私達の人生の誇りであり、目的です。イエス・キリストを主とし、イエス・キリストの十字架だけを誇り、イエス・キリストのために生きたいと願います。
 私達は「実際には何者でもないのに」、日々の生活の中で、見栄を張ったり、他人からの評価を気にすることがあります。しかし、実のところ私達の中に大したものはありません。小さく取るに足らない者である私達を通して、あなたのご栄光が現れますように。天地万物においてイエス・キリストの御名だけがほめたたえられますように。
 天のお父様、私達を、イエス・キリストから受けた宣教の使命を生きる者として下さい。私達がイエス・キリストを証しし、イエス・キリストを誇るならば、それを聞いた人の心に真理が残ります。私達が遣わされている場で、イエス・キリストの御姿と行いを、喜びをもって、あらわしていくことが出来ますように。
 天のお父様、西原新生バプテスト教会の一人一人が、日常生活の問題をイエス・キリストの愛によって解決することが出来ますように。困難の中にあっても、イエス・キリストの十字架に焦点を合わせ、主の導きに信頼して歩んでいけますように。また、主にある兄弟姉妹と「互いに重荷を担い」、互いの良いものを「分かち合」うことが出来ますように。
 天のお父様、日本各地で起きている大雨や土石流による災害に見舞われた方々やご遺族のために祈ります。あなたの愛が生きる希望を与えて下さいますように。
 感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙6章

聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙6章(新共同訳 新約pp.350-351)

 パウロは、この手紙を通して、偽教師の教えに影響されて福音の真理から外れてしまいそうになっているガラテヤ教会の聖徒達に向けて、渾身の力を込めて呼びかけ、教え、警告してきた。

 そして、パウロは最後に次のように勧めている。

「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」(1~2節)。

 パウロは、聖霊に導かれた真実な交わりの中で、「互いに重荷を担い」、支え合っていくことを勧めた。そのような支えがあってこそ、キリスト者は罪や誘惑から守られるからである。それ故、パウロは、「そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」と述べている。

 続いてパウロは、そのような交わりを保つ上で大事なことを教えている。その一つが謙遜である。パウロは言う。

「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう」(3~4節)。

 また、パウロは、「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(5節)とも教えている。これは、一人一人が自分の役割を果たすべきだということである。各自が自分に与えられた役割を果たすことで、「互いに重荷を担」うということが全うされていく。その具体例として、パウロは、「御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい」(6節)と語っている。教会の交わりは、主なる神の御言葉を中心・土台とした交わりであり、御言葉を教える人と教えられる人が、物質的なものを含めて、全ての良いものを分かち合うことによって、真の交わりが築かれる。この大切な真理を忘れないように、パウロは次のように勧めた。

「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」(7~10節)。

西原新生バプテスト教会
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2021年7月11日(日) 週報

2021年7月11日(日) 聖霊降臨節第8主日

○礼拝プログラム
招詞 詩編29編2節
讃美 67(よろずのもの とわにしらす)
交読 ヨハネの手紙一3章11~18節(新共同訳 新約p.444)
主の祈り
聖書拝読 ヤコブの手紙2章14〜26節(新共同訳 新約pp.423-424)
祈り 司式者
讃美 381(ちからのかぎりに)
宣教 「行いを伴う信仰」柏本隆宏協力牧師
讃美 234(昔主イエスの播きたまいし)
祈り
奉献
頌栄 539(あめつちこぞりて)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. イエス・キリストを主と信じ、バプテスマを受けることを希望される方、また西原新生教会への転入会を希望される方は、柏本協力牧師までお申し出下さい。

2. 沖縄県に対する新型コロナウィルス感染症の非常事態宣言が、8月22日まで延長されることが決まりました。教会では換気・消毒・ソーシャルディスタンスなどの対策を講じた上で、会堂に集まっての礼拝を続けます。礼拝後の活動・交わりは、引き続き休止します。礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。また、zoomによるオンラインでの礼拝参加にも対応しますので、参加を希望される方は、柏本協力牧師にお申し出いただくか、教会のメールアドレス(下記)までご連絡をお願い致します。

3. 7月30日(金) 16:008月6日(金) 20:00より祈祷会を行います。午前中の祈祷会(10:30~)への参加、オンラインによる参加にも対応しますので、参加を希望される方は、柏本協力牧師にお申し出いただくか、教会のメールアドレス(下記)までお知らせ下さい。その一方で、日常生活の中で聖書通読と祈りを大切にし、主なる神との交わりの時を毎日確保しましょう。また、祈りの生活の一助として、「祈りの課題」をまとめました。家庭でご活用下さい。
https://nschrist1972.hatenablog.com/entry/2021/06/24/003908

4. 福間キリスト教会(福岡県)の田宮宏介牧師から教会宛てにお菓子が届きました。田宮牧師は、西南学院大学神学部在学中に私達の教会で夏期研修をされました。田宮牧師には教会からお礼状を差し上げました。また、福間教会が『バプテスト』誌で祈りの課題として挙げておられた、①一日も早いコロナ感染症収束、②高齢者の方々の救い、③求道者の方々の救い、の3つを、私達も共に祈りに覚えましょう。

5. 教会のラクトの作成に関して、データ持ち込みの上、A4・両面カラーで3000部発注することが決まりました(見積: 3万5千円)。三つ折りなどは、配布の際に教会員でその都度行います。

6. 本日那覇市議会議員選挙の投開票が行われます。議員として立てられた方が、主なる神を畏れ、選挙の後も人々の声に耳を傾け、与えられた地位や影響力を公益のために用い、正しい判断と行動が出来ますよう、執り成しの祈りを献げましょう(テモテへの手紙一2章1~3節)。政治において、正しいことが正しいと明らかになり、間違っていることが間違っていると明らかになり、正義を行わなければならないことが、人々の前に明らかに示されますように。

7. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージも載せています。
https://nschrist1972.hatenablog.com/

○過去の宣教から
「一人の人が神の計画のために選ばれ、み声をかけられ、神に従って行く出来事が、人間の知恵や考えを遥かに遥かに越えた、たとえようもなく大きな素晴らしい出来事だということ。そのことを私たちはどれほど分かっているだろうか。そのおおきな意味と素晴らしさを分かれば分かる程、私たちの日々の信仰の歩みは変わらざるを得ない。私自身、もう一度、自らの信仰を吟味させられた。目の前の現象に一喜一憂しているのではないか。信仰の原点は主の言葉に従うということを、御互いに確認し、そこにしっかり立ちたい」(1993年11月14日、創世記12章1~9節)。

○聖書日課
11日(日) ガラテヤの信徒への手紙5章
12日(月) ガラテヤの信徒への手紙6章
13日(火) エフェソの信徒への手紙1章
14日(水) エフェソの信徒への手紙2章
15日(木) エフェソの信徒への手紙3章
16日(金) エフェソの信徒への手紙4章
17日(土) エフェソの信徒への手紙5章

西原新生バプテスト教会
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祈り ガラテヤの信徒への手紙5章

祈り ガラテヤの信徒への手紙5章(新共同訳 新約pp.349-350)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったことを感謝致します。
 天のお父様、私達は、かつてあなたを知らず、「肉の望むところ」(17節)を満足させようとする者でした。そのような私達を、あなたは憐れみ、御子イエス・キリストを世に遣わし、十字架で私達の罪を贖って下さいました。あなたは、ご自分の御子の命を代価にしてまでも、失われた私達を取り戻したいと願われ、それを実行されました。あなたの愛は何と大きく、深く、力強いことでしょう。あなたの恵みと憐れみに感謝致します。
 また、あなたは私達の内に聖霊を遣わして下さいました。そして、聖霊によって新しく生まれ、聖霊によって成長し、聖霊によって満たされ、聖霊によって歩む、新しい生き方を示して下さいました。そこに罪と肉に対する勝利があります。私達が肉に頼ることを止め、聖霊に満たされ、聖霊に深く信頼することが出来るよう、私達を導いて下さい。
 天のお父様、私達は、「まことのぶどうの木」(ヨハネによる福音書15章1節)である御子イエス・キリスト「枝」として、もっと豊かな実を結びたいと願います。あなたは、御子を信じる者の内に、聖霊によって「愛」「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という「実」を結んで下さいます(22~23節)。これは決して自分の力で出来ることではありません。私達がイエス・キリストと共に死に、イエス・キリストと共に生きているということを、信仰によってしっかりと捉えることが出来ますよう、お助け下さい。
 天のお父様、弱っている方、悩みや苦しみの中にある方を今日もお支え下さい。孤独を覚える方のところにあなたの僕を遣わして下さい。私達の心の中にある利己主義を打ち砕いて下さい。私達が隣人に対して「寛容」で、「親切」であり、全てのことを「善意」をもって行うことが出来るようにして下さい。
 天のお父様、今日は「週の初めの日」(ヨハネによる福音書20章1節)、御子イエス・キリストの復活を記念して礼拝が献げられる日です。あなたの招きに応える、私達の信じる心を強めて下さい。今日の礼拝で奉仕する者、御言葉を取り次ぐ者、そして聴く私達一人一人に聖霊の導きをお願い致します。重荷を負って来た者には慰めを、傷ついて来た者には癒しを、弱って来た者には力をお与え下さい。イエス・キリストとの出会いの恵みを一人でも多くの人と分かち合うことが出来ますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。