聖書黙想 創世記23章(新共同訳 旧約pp.32-33)
人生は旅である。私達はどこへ向かっているのだろうか。新しいものを発見することだろうか。そうではないだろう。偽りの世にあって真実を求めることだろうか。それも少し違う。
人生を自分の好きなように生きていくことだろうか。好きなように変えていくことだろうか。そうではなく、人生を主なる神から与えられたものとして生きていくことではないだろうか。「変えたい、変えたい」という生き方から、人生を主なる神からいただいたものとして生きていくことである。
私達は生きているのではなく、生かされている。このことを悟るには時間がかかる。しかし、主なる神と出会い、主なる神を知るようになると、人生はいただいているものだと分かる。
「断捨離」という言葉がある。不要なものや執着を捨て、身軽な生き方をするという意味だが、アブラハムの信仰による生き方も、そのようなものだった。彼は、地上では自らを「一時滞在する寄留者」と呼び、「天の故郷を熱望し」(ヘブライ人への手紙11章16節)、天を仰ぎ見て歩んだ。アブラハムは、天を楽しむ〈楽天〉主義者だったと言えるだろう。
「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」(4節)。
ジョン・バニヤンの『天路歴程』にあるように、この世は危険と誘惑で満ちている。しかし、それらの中に永遠に続くような絶対的なものはない。主なる神の中にしか永遠はない。主なる神と共に歩む人生の中に永遠を見つけよう。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」(ヘブライ人への手紙11章13節)。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス
![]()